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編輯室より
へんしゅうしつより |
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作品ID | 57128 |
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副題 | (一九一五年一月号) (せんきゅうひゃくじゅうごねんいちがつごう) |
著者 | 伊藤 野枝 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林 2000(平成12)年5月31日 |
初出 | 「青鞜 第五巻第一号」1915(大正4)年1月号 |
入力者 | 酒井裕二 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2017-01-21 / 2017-01-15 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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□編輯室も随分賑やかでしたけれ共とう/\私一人にされてしまひました。ひとりでコツコツ校正をやるつまらなさはあの文祥堂の二階の時分を思ひ出させます。
□大正三年はもう暮れましたがかなり青鞜にとつてはいろ/\な変化のあつた年でした。来年はいゝ年であつて欲しいと思ひます。
□私が青鞜を引き受けたについて大分あぶながつてゐて下さる方があるとのことですが併し私はどうかして引き受けた以上はやつて行くつもりです。私は何時でも私の年が若いと云ふことの為めに私の力を蔑視されるのが一番口惜しい気がします。私にこの雑誌を続けて行ける力があるものかないものか見てゐて欲しいと思ひます。私は私の呼吸のつゞく限り青鞜を手放さうとは思ひません。
□今年のお正月は屹度さびしいお正月でせう。平塚さんは七草頃でなければ帰らないと云ふことですし、哥津ちやんも平塚で年を迎へるさうですし集まることも出来ません。
□平塚さんは十二月号の安田皐月さんの『生きることゝ貞操と』を読んで考へついたことがあるし生田花世さんについて何時も考へてゐたこともあるから、二月号に『貞操に就いて』お書き下さる筈です。尚花世さんはあの返事を「私と私の良人の為めに真剣に」反響新年号に書いたと云つてまゐりました。
□野上彌生子さんは十二月中旬におかへりになりました。皆様大変御元気でおかへりになりました。中央公論に何かお書きになつたさうです。附録のソニヤの伝はおしまひまでと思ひましたが紙数の都合でもう二章残つてゐます。大変面白いものです。いろ/\な事を考へさゝれました。
□松井静代さんはこの程から麹町三番町の萬源と云ふお料理屋の帳場におすはりになりました。伯父さまのお家だそうです。二月号には何かおかき下さる筈です。
□安田皐月様は誠に止むを得ない理由で彼の店をお止になりました。始終第一義的に情実にまげられないやうに活きやうと努力してお出になるかたとしてはそれも誠に余儀ないことだと思ひます。今は小石川第六天町横田方にお住居です。
□齋賀琴子さんは矢張り宮田先生のお宅で勉強してお出になります。二月号に短歌をどつさり頂けることになつてゐます。
□久しい前から一度お目に懸つて見たいと思つてゐました山田わか子さんをこの間おたづねして見ました。私の想像してゐたのにもまして嬉しい方でした。少しお話してゐますうちに私はすつかりお友達になつてしまひました。健康らしいいゝ血色と蟠まりのない気持のいゝお声と精力が溢れるやうなお体つきを見てゐますと私は自分の貧弱なのがいやになつて仕舞ひました。廿五から英語をおはじめになつたのださうです。そうして今はもう自由に他人にお教へなさることの出来る程なお力を私はうらやましいとも何とも云ひやうのない気持ちで山田さんのお顔をながめてゐました。そうしてその御勉強の最中におなじ年の子供を他人の子ばかりを三人もお育てになつたと…