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編輯室より
へんしゅうしつより
作品ID57129
副題(一九一五年五月号)
(せんきゅうひゃくじゅうごねんごがつごう)
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「青鞜 第五巻第五号」1915(大正4)年5月号
入力者酒井裕二
校正者雪森
公開 / 更新2017-03-30 / 2017-01-29
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

□今月号は大変後れてしまひました。以後はこんなことのないやうに気をつけます、勿論これはあながち私が怠けた為でなく大部分は印刷所の都合に由るのです。
□毎号不着のハガキがきつと一二枚づゝは来ますがなるべくならば十日以前におしらせが願ひたいのです。月後半は往々品切になることがあつてお送りが出来ませんから。
□らいてう氏はしばらく胃腸病でやすんでゐらつしやいましたが此の頃は余程いゝやうです。毎週日曜日午前が面会日です。
□此度の総選挙に婦人の運動者が多かつたと云つて首相や内相が英国の女権運動の如き運動の導火線になると困るとか何とか云つて禁止の意を仄めかせられたと云ふことについて新聞が大変なことのやうに挙つて報道した。併し日本の官権の頑迷は今はじまつた事ではない。それは如何にも彼等の考へさうなことである。その彼等の心情は憫笑に価するけれども私は世間の人が気にする程戸別訪問の価値も認めないし、それが禁止されたとて何も大したことはあるまいと思ふ。また真にその禁止に向つて抵抗の出来る力をもつた婦人が幾人あるかと考へると私は到底禁止を妨害することなんか思ひもよらないことだと思ふ。もし真に必要にせまられた、根底のある、権威のある運動ならばどうしたつて官権の禁止位は何でもなく抵抗が出来る筈だ。またそんなことを気にもしてはゐないだらう。併し日本の婦人の社会的な運動がそれ程までの力をもつて現はれる日がそんなにも近い日であるとは私には思へない。その頃にはもう少しは若い人たちの権威の時代であるかもしれない。
□私の卒業した女学校に此の頃或る転機が来て頻りに動揺してゐる。私は学校を出てから四年の間一度もよりつかなかつたやうな冷淡な卒業生であつた。学校側でも同窓会があらうと音楽会があらうと、バザーがあらうと、一片の通知もよこさなかつた。私は全く異端視されてゐた。卒業生仲間でもさうだつた。私は学校に対しては何のつながりも感じはしなかつた。けれども学校の中心になつてゐる二先生丈けはどうしても学校と同一視しては仕舞へないでゐた。此度その先生お二人が辞職なすつたと云ふさはぎで私は突然に再三同窓会の大会に出席することをすゝめられた。初めて学校を出てから、同窓会の出席の勧誘をうけたのだ。私は多くの人の勝手に呆れながらも先生への愛感に引きづられて、出席した。けれども私は、反感と侮蔑と失望でかへつて来た。私の愛する先生はあまりに理想家で単純でした。そうして炎えさかる自分の激情の為めにかなりおちつきを失つてゐるらしく思はれました。先生の為めに、東奔西走した人たちは皆先生のその激情にまきこまれて昂奮してすべての存在を無視してたゞ先生をのみ立てやうとしてゐるらしく私には見えました。私はその心持ちに深い同感をもつことが出来る。けれども考へのない彼女等の昂奮は先生をます/\盲目にするらしく思はれました。ともすれば先…

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