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私が現在の立場
わたしがげんざいのたちば |
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作品ID | 57153 |
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著者 | 伊藤 野枝 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林 2000(平成12)年5月31日 |
初出 | 「新潮 第二三巻第一号(通巻第一三〇号)」1915(大正4)年7月号 |
入力者 | 酒井裕二 |
校正者 | 笹平健一 |
公開 / 更新 | 2024-09-16 / 2024-09-09 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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「もう少し、しつかりした、婦人運動が具体的に表はれなくてはならない。」と云ふやうなことをあちらこちらで私はこの頃聞かされる。これは、少しでも婦人の味方と自ら許す男子の大方の人にあきたりなく思はれる点があるからかもしれない。
凡ての事の効果を見なければ行動の如何を認めない群集に向つて、自分の同意を表する婦人達の行動が決して彼等の考へてゐるやうな不真面目なものでないことを認めさせやうとすれば、どうしても彼等に示すに足りるやうな効果を求めるのは当然であるけれども、彼れ等の人達は、あまりに、自分の為めにすべてのことを軽く見過してゐると云はなければならない。
それ等の人達は一方に虐げられた低い無智無感覚な婦人を知つてゐ乍ら、やうやく覚めて動き出したものの微かな力をあまりに大げさに買ひ被りすぎてゐる。今動き出した、又はこれから動き出さうとしてゐる力が如何にかすかなものであるかは、少し考へれば直ぐに、解ることではないか。よし少数の彼女等が一段高く当然自分達のものとなるべき新しい場処を見出したとしても、彼女等の生活の根は深くその多くのねむれる力の中に根ざしてゐる。一足飛びに馳け上る訳にはどうしてもゆかない。一時、あがつたらしく見えても矢張り何時かは、何かの度びには根本に引き戻されなくてはならない。併し真実に、確りと自分の生活を其処にうつさうとするには多くの忍耐と努力と時間を要する。彼女は先づしつかりした、足場を構へなくてはならない。第一に、それには永い時間と忍耐を要する。つゝかれたり、くづされたり、余計なおせつかいをされねばならない。さうして先づ第一に見出した場所にまで達したときに初めて古い土から根こぎにして自分の生活を何の不安も無理もなしに新らしい場所にうつすことが出来るのだ。そのときには去つて来た処に何が起らうと無関心でゐることが出来、何の動揺をも感じなくてすむのだ。
さう云ふ風に確実に自分の生活を築き上げ得た人が果して幾人あるだらう。これは実に容易な業ではないのだ。そして最初にそれをする人程困難である。今、現在私達のしなければならないこと或はしつゝあることは、それである。他人はどうか私は分らない。けれども少くとも私一人丈けはどうかしてその足場を出来得るかぎりたしかなものにしたいと思つてゐる。私達はやうやく自分の周囲の不自由なことを感じ出したばかりではないか、私たちはまだ足場をこしらへにかゝる程にもなつてはゐないやうな気さへどうかした時にはする。私たちは出来る丈け自分と現在の境遇を観、そして考へて見なければならない。さうして後に来る日々の生活に対する省察と批判を一つ/\積み立てゝゆくべきである。さうしてそれが日々油断なく辛抱づよく繰り返されさへすれば屹度達する処へ達しなければならない。しかしやゝともすれば後へ引き戻されたり、邪魔が這入りがちなものである為めに、なか…