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ウォーレン夫人とその娘
ウォーレンふじんとそのむすめ
作品ID57155
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1——『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「青鞜 第四巻第一号附録」1914(大正3)年1月号
入力者酒井裕二
校正者Butami
公開 / 更新2020-07-26 / 2020-06-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 脚本を読んで見て私は殆んど手の出しやうのないのに驚いてしまつた。とても自分の貧弱な頭ではそれ/″\に立派な解釈をつけて批評して行くことは六ヶしい、と云つてやらないわけにも行かないし困つた/\と云ひ暮しても其日数もなくなつてしまつた。
「あんまり六ヶしく考へすぎるんだよ」といふ様な注意を傍らで聞くとなほイラ/\して来てどうしても纏めることが出来ない。もう〆切の日は少しの余裕もなく迫つてゐる。とても正式の批評などは出来さうもない。私は自分で考へついたことだけを書いてこの責任をのがれようと思ふ。大変いけないことかもしれないけれども今の場合仕方がないとしておきたい。
 一番主として考へなければならないのはヴイ※[#濁点付き井、47-9]イが母の職業に対する理解だと思ふ。
 ヴイ※[#濁点付き井、47-10]イは悧巧な冷静な理解力をもつた自信の強い女である。だが情熱とか優しみとか云ふ方には欠けてゐる。凡て、何を考へるにもやるにも感情を交へないと云ふ処が普通の女と甚だしく懸け離れてゐる点である。彼女は美もローマンスも不必要だと云つてゐる。彼女はその母親に対しても本当の親しみやなつかしみを持ち得ない。フランクに対する感情も恋とは云ひにくい。若い女の男に対してもつ情熱的な恋とはよほど違つたものである。
 これは彼女が幼い時から母の傍を離れて寄宿生活をして来た結果だ。彼女は幼い時から当然受くべき両親のやさしい愛をうけることが出来なかつた。彼女は第一に親の愛を知る時期がなかつた。第二に彼女は寄宿生活に万事少しの和か味もない定規で造り上げられた四角四面な規則で生活した。理屈ばかりの生活をしたことが原因してゐる。つまり彼女は当然受くべき情的教育を受ける機会なしに智的方面にまた意的方面にばかりのびていつたのだ。あやまつた教育が彼女のやうな人間を造り上げたのだ。
 其処で彼女は母に対して、母の職業に対して或理解をもつ事は出来た。同時に幾分の同情することも出来た。然し最後まで行つたとき彼女は母に対して、あまりに苛酷な態度をとつた。もし普通に母親に対する愛情をもつ女ならあゝいふ酷な態度のとれやう筈はない。もう少し角だてずにやさしく和かに解決がつくべき筈だ。彼女の生活と母親の生活が合ふ筈のないことは誰にも解ることである。然しヴヰ※[#濁点付き井、48-6]イの考へ方によつては母親にあゝまでみぢめな態度をしなくつても済むことだ。妥協と云ふ意味でなく自分さへ確かならそして母親の職業や境遇に同情と理解があるならばまた何も母が彼女の生活に積極的に障げをしやうとするのでないならばあゝまできつぱりと結果をつけないまでも、もう少し優しい扱ひ方が出来たに違ひないと思ふ。彼女の情的教育の欠点は二幕目の終り近く母親の情熱的な昂奮と感激におされて著しく目立つて来る。
 ウォーレン夫人はそれにくらべるとずつと世間…

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