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サニンの態度
サニンのたいど |
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作品ID | 57157 |
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著者 | 伊藤 野枝 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林 2000(平成12)年5月31日 |
初出 | 「中外 第一巻第一号」1917(大正6)年10月創刊号 |
入力者 | 酒井裕二 |
校正者 | きゅうり |
公開 / 更新 | 2019-01-21 / 2018-12-24 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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どんな性格の男に敬愛を捧げるかと云ふ問に対して理想を云へば、何れ鐘太鼓でさがしても、見つからぬやうなせひぜひ虫のいゝ事を並べても見られませうが、先づ手つ取り早く彼のやうな男がと云ふやうなのを云へば、これも実在の男ではありませんが、アルツバシエエフによつて描かれた、サニンが好きです。何物にも脅やかされず、どんな場合にも、大手を拡げて思ひのまゝに振舞ふ。一寸誰にも真似の出来ない超越した態度が好きです。しかもどんな好き勝手なまねをしても、少しの無駄も、誤魔化しもなく楽々と勝手を通して行く処に、本当に力強い魅力を感じます。殊に彼が、サルウヂンと云ふ士官に決闘を申込まれて平気でそれを拒絶し、猶それによつて侮辱の言葉に耳も貸さないで済まして居たり、それから公園の散歩道で、サルウヂンのムチが持ち出されるよりも早く、彼を只だ一撃になぐり倒す油断のない機敏さや、猶その場での、他の人達の顛倒とは全るで反対に、何にもなかつたやうな平静と、その事件によつて起つた二つの自殺――しかも、一は彼の冷酷に近い答へがその致命傷となつた事が明白に知れて居り、他もまた彼の一撃がその決心に導いた事が解つて居ながら、何の揺ぎをも見せない無関心な態度、若い理想主義者の死に対して、何の躊躇もなしに、その葬式に際して『世間から馬鹿が一人減つたのだ』と平気で云つて退ける彼が、私には少しのわざとらしさも嫌味もなく受け入れられるのです。サニンのやうな男なら、一つの命を二つ投げ出しても尊敬を捧げて見たいとおもひます。
体は出来る丈け男らしい肩と胸を持つた人が好きです。しかし、会つた最初にさうした肉体的な印象や圧迫を先きに、与へるやうなのは嫌です。
顔には随分好き嫌ひがありますが、先づ最初に、顔について、私の嫌ひな条件を云へば、あんまりテカ/\と血色のいゝのは何となく俗物らしい感がして嫌です。中年以上の男では猶一層のことで、殊にデコボコの多い膏ぎつてブヨブヨした感じのするのなどは見るのもいやです。それから髯のないのも嫌ひです。顔の半分が髯と云つたやうなのも考へものですけれど、ちつともないのなんか本当にいやです。それから変にのつぺりした綺麗な所謂美男子は嫌ひです。男のくせに――女だつてさうですが――自分の顔に自信をもつてゐるのなんか到底我慢の出来ないものです。しかし、顔は、造作で大ざつぱに好き嫌ひは云へないもので大抵、表情で極まるものだとおもひます。私はひげのない顔は嫌やだとたつた今書きましたけれど、好きな顔があります。音楽家の澤田柳吉氏の顔がさうです。彼の人のあの蒼白い顔色とこめかみのあたりから頬にかけての神経的な線は、他の誰にも見出せないやうな特別な魅力をもつてゐます。それから寄席芸人の猫八、あの男のたゞの時はそれ程何も感心する顔ではありませんが、彼が真剣に虫の鳴声や鳥の声をまねてゐる時は、本当にしつかり…