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芸術としての哲学
げいじゅつとしてのてつがく
作品ID57162
著者丘 浅次郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」 筑摩書房
1974(昭和49)年9月20日
初出「中央公論」1906(明治39)年4月
入力者矢野重藤
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-11-18 / 2021-10-27
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 此頃は青年間に宇宙観とか人生観とか云ふ様な哲学めいたことが大分流行して、女学生までが哲学書を読むと云ふ噂であるが、雑誌屋の店先に数多く列べてある何々論とか何々観とか題する書物の中には、迷ひ込み様によつては随分当人又は社会のために迷惑の生ずるものも少なくない様に見受ける。斯様な際に当つて我等の如き自然科学を修め、直接に自然を研究しながら、傍ら哲学書をも好んで読むものが、如何に哲学を見て居るかを発表するのは敢へて無益ではなからう。
 今日の所では書物を読み字句を解釈することを皆学問と称して居るが、真理を探求せんとする純粋の学問の中にも研究の方法を標準として分けて見ると慥に二組の区別がある。即ち第一の組に属する学科では経験に重きを置かず、専ら人間の持つて生れた推理の力のみに依つて、先から先へと理を推して進む方法を用ひて居るが、従来の哲学や倫理学は全く此の組に属する。之に反して、第二の組の学科では推理力は素より用ひるが、常に経験に重きを置き、先づ実験観察に依つて成るべく正しい経験を成るべく広く集め、之を基として一般に通ずる理法を確め、更に理を推して考へを進めるに当つては、必ず一段毎に実験観察に依つて推理の結論の当否を試験し、略々その正しいことの見込みが附けば、尚その先へ理を推して進むのである。物理学、化学、生物学等の如き所謂自然科学及び其の応用の学科は総べて此類に属するが、此等の学科では実験観察の結果が推理の結論と矛盾する場合には、一先づ理論の方を差し控へ、何故斯かる矛盾が生じたかと追究して推理の方法の足らざりし点を発見しやうと務め、理論と実際とが一致した上でなければ、尚その先へ理を推して進む如きことをせぬのである。
 斯くの如く学問研究の方法に二通りの別があるのは何故かと云ふに、之は人間の推理力を信頼する程度如何に基づくことで、第一の組では人間の推理力を絶対に信頼し、其の導く所には決して誤りはないと信じて掛かる故、何事を研究するにも a priori 的推理法のみに依つて真理を探り出さうと務めるが、第二の組では斯くまでには推理力を信頼せず、推理力の効用は素より認めながらも、尚慎重の態度を取り、用心に用心を加へ、経験と矛盾せぬ範囲に於てのみ推理の結論を承認するのである。抑々人間の推理力を絶対に完全なるものの如くに思ふことは、地球が動かぬと云ふ考へ、動植物の種属が永久不変であると云ふ考へなどと同性質のもので、何時誰が唱へ出したでもなく、人智の開けぬ間はたゞ当然のこととして、少しの疑をさへも起さずに済まし来つたのであるが、今日の如く学術が進歩して人間も他の動物と同じく、共に下等の生物から進化の法則に従うて、現在の有様までに進んだものであることが明瞭になつた時代から見ると、脳髄の働きの一部分なる推理力を斯く絶対に完全なものと見做すことの誤りなるは勿論である。自然科学では…

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