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![]() さかなのえさ |
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作品ID | 57172 |
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著者 | 梅崎 春生 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本掌編小説秀作選 下 花・暦篇」 光文社文庫、光文社 1987(昭和62)年12月20日 |
初出 | 「改造」1953(昭和28)年10月 |
入力者 | sogo |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2016-03-28 / 2016-01-01 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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今でもその子供等のことを、僕は時に思い出す。その子供たちは、たしかに僕の餌箱から、餌を盗んだのだ。
それはもう十年も前のことになる。
十年前というと、まだ戦争中のことだ。戦争中だというのに、大の男がせっせと防波堤に通って、魚を釣る。それも僕だけじゃなくて、防波堤の常連とでも言ったようなのが、十人近くいた。それに半常連。フリの客など。それに本職の漁師も時にこれに加わる。その本職の漁師たちは、お互いに大阪弁で会話した。その海は九州のある湾だから、すなわち彼等は他国者だというわけだ。
つまり何かの事情で移住してきたこれらの漁師たちは、その湾の漁場は土地の漁師に占められ、また舟を持つ余裕もないらしく、余儀なくこの防波堤にも仕事にやってくる。大体そういうことらしい。移住してきた事情は聞かなかった。彼等は総じて身なりも貧しく、態度も粗野だった。大阪弁がかえってその粗野な感じを助長した。それに彼等は僕等を、防波堤の常連たちを、敵視しているような気配もあった。その連中の多くは、防波堤の礎石についた赤貝を採る。四月や五月、そんな水の冷たい季節でも、平気で水にもぐる。ヒラメのように体を平たくして沈んで行き、二分も三分ももぐっている。それらが時に釣竿をたずさえて、僕らの仲間入りをする。
これら本職のやり方を見ていて、僕は素人と玄人の釣り方の差をはっきりと知った。
つまり本職の釣り方は、あらゆる合理的な考えの上に立っている。だいいち釣れそうな天候や潮具合の時しか来ないのだ。ところが素人常連のは、魚の引きを楽しむためにわざと弱い竿を用いたり、必要でもないのにリール竿を使用したりする。まあこれは一種の頽廃だ。その中にあって『是が非でも』釣り上げようとする漁師たちのやり方は、はっきりと目立った。それによって生活を支えるか支えないかの差異だろう。それに体格もちがっていた。彼等の肌は赤銅色で、手足も逞しかった。僕らは、老人もいたし若いのもいたが、概して虚弱な感じの者ばかりだった。戦争中のことだから、生きのいいのは大てい兵隊とか工場に引っぱられている。呑気に魚釣りなんか出来るのは、病気上りの虚弱者なのだろう。この僕がそうだった。胸の病気のあとで、しばらくのんびりと魚釣りでもして暮せと、医者から言われたのだ。
その子供たちが、この漁師の誰かの息子かどうか、僕は知らない。しかしかれらは子供のくせに、矢鱈に魚釣りがうまかった。僕などにくらべて、いつも二倍か三倍も釣り上げてゆく。玄人級だ。身なりもよくないし、釣道具もお粗末なものだ。それでたくさん釣る。二人とも躯にくらべて頭が大きい。貧相な感じの子供だった。頭が似ているから、兄弟なのに違いない。上は数え年で十二か十三、小さい方は十歳ぐらいか。
それは七月頃だったかしら。その頃はメバルはすでに遠のいて、セイゴ、キスゴ、平あじ、ハゼなどの雑…