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二癈人
にはいじん
作品ID57191
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」 光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日
初出「新青年」博文館、1924(大正13)年6月
入力者門田裕志
校正者江村秀之
公開 / 更新2017-10-07 / 2017-09-24
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 二人は湯から上って、一局囲んだ後を煙草にして、渋い煎茶を啜りながら、何時の様にボツリボツリと世間話を取交していた。穏かな冬の日光が障子一杯に拡って、八畳の座敷をほかほかと暖めていた。大きな桐の火鉢には銀瓶が眠気を誘う様な音を立てて沸っていた。夢の様にのどかな冬の温泉場の午後であった。
 無意味な世間話が何時の間にか懐旧談に入って行った。客の斎藤氏は青島役の実戦談を語り始めていた。部屋のあるじの井原氏は火鉢に軽く手を翳しながら、黙ってその血腥い話に聞入っていた。幽かに鶯の遠音が、話の合の手の様に聞えて来たりした。昔を語るにふさわしい周囲の情景だった。
 斎藤氏の見るも無慚に傷いた顔面はそうした武勇談の話し手として至極似つかわしかった。彼は砲弾の破片に打たれて出来たという、その右半面の引釣を指しながら、当時の有様を手に取る様に物語るのだった。その外にも、身体中に数ヶ所の刀傷があり、それが冬になると痛むので、こうして湯治に来るのだといって、肌を脱いでその古傷を見せたりした。
「これで、私も若い時分には、それ相当の野心を持っていたんですがね。こういう姿になっちゃお仕舞ですよ」
 斎藤氏はこう云って永い実戦談の結末をつけた。
 井原氏は、話の余韻でも味う様に暫く黙っていた。
「この男は戦争のお蔭で一生台無しにして了った。お互に癈人なんだ。がこの男はまだしも名誉という気安めがある。併し俺には……」
 井原は又しても心の古傷に触れてヒヤリとした。そして肉体の古傷に悩んでいる斎藤氏などはまだまだ仕合せだと思った。
「今度は一つ私の懺悔話を聞いて戴きましょうか。勇ましい戦争の御話の後で、少し陰気過ぎるかも知れませんが」
 お茶を入換えて一服すると、井原氏は如何にも意気込んだ様にこんな事を云った。
「是非伺い度いもんですね」
 斎藤氏は即座に答えた。そして何事かを待構える様にチラと井原氏の方を見たが、直ぐ、さりげなく眼を伏せた。
 井原氏はその瞬間、オヤと思った。井原氏は今チラと彼の方を見た斎藤氏の表情に、どこか見覚えがある様な気がしたのだった。彼は斎藤氏と初対面の時から――といっても十日計り以前のことだが――何かしら、二人の間に前世の約束とでも云った風の引懸りがある様な気がしていた。そして、日が経るにつれて、段々その感じが深くなって行った。でなければ、宿も違い、身分も違う二人が、僅か数日の間にこんなに親しくなる筈がないと井原氏は思った。
「どうも不思議だ。この男の顔は確かどこかで見たことがある」併しどう考えて見ても少しも思い出せなかった。「ひょっとしたら、この男と俺とは、ずっとずっと昔の、例えば、物心のつかぬ子供の時分の遊び友達ででもあったのではあるまいか」そんな風に思えば、そうとも考えられるのだった。
「いや、さぞかし面白いお話が伺えることでしょう。そういえば、今日は何だ…

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