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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 57205 |
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副題 | 236 夕立の女 236 ゆうだちのおんな |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「銭形平次捕物控 鬼の面」 毎日新聞社 1999(平成11)年3月10日 |
初出 | 「サンデー毎日」1950(昭和25)年7月2日号~16日号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 結城宏 |
公開 / 更新 | 2017-06-23 / 2017-05-31 |
長さの目安 | 約 54 ページ(500字/頁で計算) |
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【第一回】
一
江戸八百八町が、たった四半刻のうちに洗い流されるのではあるまいか――と思うほどの大夕立でした。
「わッ、たまらねえ、何処かこう小鬢のあたりが焦げちゃ居ませんか、見て下さいよ」
一陣の腥い風と一緒に、飛沫をあげて八五郎が飛込んで来たのです。
「あッ、待ちなよ、そのなりで家の中へ入られちゃたまらない――大丈夫、鬢の毛も顎の先も別条はねえ、鳴神だって見境があらァな、お前なんかに落ちてやるものか」
平次は乾いた手拭を持って来て、ザッと八五郎の身体を拭かせ、お静が持って来た単衣と、手早く着換えをさせるのでした。
全く焦げ付きそうな大雷鳴でした。そうしているうちにも、縦横に街々を断ち割る稲光り、後から/\と、雷鳴の波状攻撃は、あらゆる地上の物を粉々に打ち碎いて、大地の底に叩き込むような凄まじさでした。
「驚きましたよ、あっしはもうやられるものと思い込んで、四つん這いになって此処へ辿り着くのが精一杯――どうも腹の締りが変な気持ですが、臍が何うかなりゃしませんかしら――」
「間抜けだからな、自分の臍を覗いて見る格好なんてものは、色気のある図じゃないぜ、第一お前の出臍なんか抜いたって、使い物にならないとよ、味噌が利き過ぎて居るから」
掛け合い話の馬鹿々々しさに、お静はお勝手へ逃げ込んで、腹を抱えて笑いを殺して居ます。
いいあんばいに雷鳴も遠退いて、ブチまけるような雨だけが、未練がましく町の屋並を掃いて去るのでした。
「それにしても大変なことでしたね、御存じの通り、あっしは雷鳴様は嫌いでしょう」
「―雷鳴は鳴る時にだけ様をつけ―とね、雷鳴を好きだという旋毛曲りも少いが、お前のように、四つん這いになって逃出すのも滅多にないよ、あの格好を新造衆に見せたかったな」
「散々見られましたよ、何しろ明日の神田祭だ、宵宮の今晩から、華々しくやる積りの踊り舞台にポツリ/\と降って来た夕立の走りを避けて居ると、あの江戸開府以来という大雷鳴でしょう」
「江戸開府以来の雷鳴という奴があるかえ」
「兎も角も、そのでっかいのが、グヮラグヮラドシンと来ると、舞台に居た六、七人の踊り子が、――ワッ怖いッ――てんで、皆んなあっしの首っ玉にブラ下ったんだから大したもので、あんな役得があるんだから大かい雷鳴も満更悪くありませんね」
「罰の当った野郎だ」
「そのまま鳴り続けてくれたら、あっしは三年も我慢する気で居ましたよ、――ところが続いてあの大夕立でしょう、ブチまけるようにどっと来ると、女の子はあっしの首っ玉より自分の衣裳の方が大事だから、チリ/\バラ/\になっては近所の家へ飛込んでしまいましたよ、一人位はあっしと一緒に濡れる覚悟のがあってもいいと思いますがね」
「呆れた野郎だ」
「空っぽの舞台で、大の男が濡れ鼠になるのも気がきかねえから、川越をする気分で、雨の中を掻きわけ/\、…