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随筆銭形平次
ずいひつぜにがたへいじ
作品ID57217
副題12 銭形平次以前
12 ぜにがたへいじいぜん
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(十一)懐ろ鏡」 嶋中文庫、嶋中書店
2005(平成17)年5月20日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-12-02 / 2019-11-23
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治二十五年頃から、十年位の間、日本にも一としきり探偵小説の氾濫時代があった。それは朝野新聞から、後の万朝報に立て籠った、黒岩涙香の翻訳探偵又は伝奇小説の、恐るべき流行に対する、出版者達の対抗運動で、当時硯友社の根城のようになっていた、春陽堂あたりでさえも文芸物出版社としての誇りをかなぐり捨て、あられ小紋風の表紙、菊判百頁前後の探偵小説十数冊を出版し、後に文庫版の探偵文庫に代えたことは老人方は記憶しておられることだろう。
 このうち前者の探偵小説には、硯友社の知名作家が筆を執っており、現に泉鏡花や江見水蔭などが加わったばかりでなく、オン大の尾崎紅葉までが、匿名でこの叢書を書くとか、書く予定だとか伝えられたものである。
 黒岩涙香は扶桑堂一手に出版したのは、やや後のことで、初期のものは、出版社もいろいろ変ったようである。丸亭素人の翻訳探偵小説は裏表紙に渦巻模様のある今古堂から出ており、江戸川乱歩氏かの説によると、大阪の駸々堂などは、無名又は匿名作家の探偵小説を、五十冊位も出しているだろうということである。

 その頃の探偵小説は、いわゆるコナン・ドイル以前の偶然型、押しつけ型で、大した面白いものではないが、その時分、少年時代を過ごした私などは、一面幼稚なる文学少年であったにも拘わらず、探偵小説のもつ、スリルとサスペンスに惹かれて、お小遣を溜めては、根気よく赤本の探偵小説を読んだことである。
 その一面に私は、硯友社の作品のもろもろ、例えば尾崎紅葉の『不言不語』とか広津柳浪の『河内屋』とか、幸田露伴の『五重塔』に夢中になり、『水滸伝』や『南総里見八犬伝』に寝食を忘れたのは、なんという浮気な文学少年であったことであろう。
 やや長じて私は、正岡子規の俳句運動に傾倒して、下手な俳句を捻ったり、与謝野鉄幹の新詩社運動に呼応する積りで、石川啄木らと共に、幾つかの歌を作ったこともあったはずである。でも私は散文的で濫読家で、詩にも歌にも俳句にも没頭し切れず全身的な注意と情熱で小説へ還って行ったのは已むを得ないことであった。
 一方では矢張り、探偵小説への情熱が醒め切れず、泉鏡花の『活人形』から、江見水蔭の[#「江見水蔭の」は底本では「江美水蔭の」]『女の顔切り』、小栗風葉の『黒装束』と、文芸作品の中から、探偵的なものに興味を引かれて行ったのはまことに前世の約束的因果事である。
 一高の入学試験を受けるとき、私は四月から七月上旬まで三ヶ月半の徹夜をした。全く眠くないわけではない、帯も解かずに机に齧り付いて一と晩を過ごし、ウツラウツラとしてまた勉強を始めるのである。なまけ者の私にとっては、全く一生に一度の大勉強であった。そのためすっかり痩せてしまって、晩年の尾崎紅葉みたいな顔になったと、友達に冷やかされたが、ともかくも当時秀才の登竜門だった一高の入学が叶って、首尾よく一高の健…

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