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三次の鵜飼
みよしのうかい
作品ID57235
著者中村 憲吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「ふるさと文学館 第四〇巻 【広島】」 ぎょうせい
1994(平成6)年2月15日
初出「大阪朝日新聞」1926(大正15)年8月3日
入力者岡村和彦
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-05-12 / 2017-03-11
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 山陽、山陰両道の河川は殆ど何れもが中国山脈を分水嶺として、瀬戸内海と日本海とに注いでゐるのにひとり両道第一の長流江の川のみは、その源を山陽道に発し且つその流程の半はこれを通過しながら、下は遠く山陰に入り日本海に流れ去つてゐる。備後の北部が安芸国と境を接し、それに雲石二州の国境が相迫らうとするところに広袤方約二里のいはゆる三次盆地がひらけてゐて、江の川五十余里の水源の大部分は、ここに会する吉田、馬洗、西城、神瀬の四大川によつて涵養されるのである。しかも江の川が石州に入つて流れる廿五里は、全然大谿谷中の流程であるから、河川としての灌田牧水の用は、この上流地域で尽されてゐるわけである。従つて自余は古くから舟楫の便を日本海へ通じてゐるほかは春北風の潮風をこの奥地に迎へ、秋にこの閑郷の錦葉を日本海の波へ送るに過ぎない。ただ季節が夏に向ふときにはこの河の支流といふ支流にはその細渓に至るまで河口から無数の香魚が遡つてその清躯を岩瀬に躍らし、この河一帯の地に活境が俄にひらかれる。この盆地もと三峡川一処に会するが故に、(一川神瀬はやや下流において合する)郷土の騒人はひそかに支那四川省巴東三峡に擬して、いはゆる三巴または巴峡と呼んでゐるが、夏日は白雲豊かに立ち騰つて翠巒は四囲を環擁しその中には天正年間以来の古衛があつて、街路に立てば郭外の灘声を聞くことが出来る。この嵐気とこの香魚と、殊に香魚の漁猟は、この地に古くより伝来する鵜飼によつて一層の興を助くるから、山間三次の行楽は正に夏において極まるといつてよい。鵜飼の三次に行はれた起源は詳かにしないが、口碑によれば、天文永禄のころ毛利氏に亡された尼子浪人が、この地の磧洲に伏屋を結び、活計をたてたのに始まるといひ、当時夜そこからは細燈が漏れ、慈老鳥の啼き声しばしば市人の哀愁をひいたと伝へられる。

 私がこの山国の町の夜川に鵜飼を試みるのは幾年振りであらう。永年の都住まひを引上げ、物寂しい峡村に帰つて間もない七月のはじめのことである。私等夫妻は不意に老母を奉じて西遊した百穂画伯を、この山間の町に一夜の客として迎へ、偶然にして久振りの鵜飼の清興を、この遠来の友の家族と共にするを得た。
 鵜飼はいふまでもなく日没を待つて行はれる。私共が客船に乗つた場所は、昔覚えのある町外れの河岸である。町の後から比熊山の古城址が頭上に迫つてもう大分暗い。峡の空には淡い星も見える。夕闇の漂ふ河の向うの磧では焚火をしてゐる人が五六人、鵜舟が四艘つないである。これは我々の傭つた鵜舟ではなく、我々のは舟中の食啖に上すべき香魚を獲て、やがて上流から下つて来るはずである。暮色の深い山際の上瀬から玉を転がすやうな河鹿が啼いてくる。新蛍が水を照して現れだした。河の水気を含んだ風が漸次肌に涼冷になつて来る。元来かかるうちに鵜舟の麻炬の火が上流の山際赤く焦しながら出てくる…

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