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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 57247 |
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副題 | 282 密室 282 みっしつ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「奇譚 銭形平次 「銭形平次捕物控」傑作選」 PHP文庫、PHP研究所 2008(平成20)年10月17日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋新社、1952(昭和27)年11月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 江村秀之 |
公開 / 更新 | 2020-05-27 / 2020-04-28 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「妙なことを頼まれましたよ、親分」
ガラッ八の八五郎、明神下の平次の家へ、手で格子戸を開けて――これは滅多にないことで、大概は足で開けるのですが――ニヤリニヤリと入って来ました。
十月の素袷、平手で水っ洟を撫で上げながら、突っかけ草履、前鼻緒がゆるんで、左の親指が少し蝮にはなっているものの、十手を後ろ腰に、刷毛先が乾の方を向いて、とにもかくにも、馬鹿な威勢です。
「顎の紐を少し締めろよ、馬鹿馬鹿しい」
口小言をいいながらも、平次は座布団を引寄せて、八五郎のために座を作ってやるのでした。
「でも、若い娘に忍んで来てくれと頼まれたのは、あっしも生れて初めてで」
八五郎はこう言って、顎を撫でたり、襟を掻き合せたりするのです。
「願ったり叶ったりじゃないか、相手は誰だ」
「親分も知っていなさるでしょう。相手は本郷二丁目の平松屋源左衛門の義理の娘ですが、まずその親父のことから話さなきゃわかりません」
「知っているとも。昔は武家だったそうだな、松平という祖先の姓を名乗っては、相済まないというので、松平を引っくり返して平松屋は、義理堅いようなふざけた話だ」
「その平松屋源左衛門というのは、本郷一番の金貸で、五年前に亡くなった、松前屋三郎兵衛の跡だということも、御存じでしょうね」
「そんな事も聴いたようだな」
「松前屋三郎兵衛は、松前様のお金を融通して、一代に万という金を拵えたが、主人三郎兵衛は、女房のお駒と、小さい娘のお君を遺して五年前に病死――それにも変な噂がありますが、ともかくも、用心棒においた居候の浪人、松平源左衛門というのが、ズルズルべったり、祝言なしで後家のお駒といっしょになり、平松屋と暖簾を染め直して、金貸稼業をつづけたが、不思議なことに、先代の松前屋三郎兵衛が溜めておいた筈の、一万両近い金が、どこに隠してあるかわからない」
「フーム」
「一万両の金の見付からない自棄もあったでしょう。平松屋源左衛門は三年前から女道楽をはじめ、年上の女房お駒が嫌になって、茶汲あがりのお万というのを引入れ、女房のお駒と、先代松前屋の娘お君を邪魔にし、離屋へ別に住まわせることにした」
「薄情な野郎だな」
「一万両の金が目当ての入婿だから、金が無いとわかると、年上の女は邪魔にもなるでしょうよ。ところが、女房のお駒はきかん気の女で――少しは気も変になったでしょうが、――私は此家の心棒だから、梃でも動かないと言い出し、離屋の窓々に頑丈な格子を打ち付け、四方の戸に錠をおろして、鍵は自分の手に持ったのが一つだけ、娘のお君のほかには、誰も離屋に寄せつけない。後添の主人源左衛門は、元は武家で腕に覚えがあるから、私を殺しに来るに違いない――というのだそうで」
「なるほど、そんな事もあるだろうな」
「三度の食事も娘が運んで、下女のお鉄でさえも、滅多に離屋へは寄せつけないというから大変で…