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北国の春
きたぐにのはる
作品ID57268
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第八巻」 岩波書店
2001(平成13)年5月7日
初出ウィネッカの早春「北海タイムス」1953(昭和28)年5月19日<br>北海道の山うど「北海タイムス」1953(昭和28)年6月7日<br>鰊「北海タイムス」1953(昭和28)年5月9日<br>バターの洪水「北海タイムス」1953(昭和28)年6月16日<br>弾丸道路「北海タイムス」1953(昭和28)年8月8日<br>バチラーさんの話「北海タイムス」1953(昭和28)年8月22日<br>エスキモーの生活「北海タイムス」1953(昭和28)年8月16日<br>北海道の位置「北海タイムス」1953(昭和28)年7月11日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2017-04-11 / 2017-03-30
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ウィネツカは札幌と大体緯度が同じくらいで、風物にも似たところがある。とくに春は感じがよく似ている。ともに北国のおそい春であるが、それにもまた捨てがたい情趣がある。
 二度目のウィネツカの春を迎えて、異国の生活にも大分馴れたが、やはり少し草臥れたのかもしれない。二十年間住んだ札幌のことなどが、時々思い出される。アメリカから北海道へというような気持で、北国の春を、思いつくままに綴ってみた。

ウィネツカの早春

 シカゴの郊外、このウィネツカの町にも、ようやく春がきて、毎朝目をさますと、春の陽があたたかく、ガラス戸越しにさしこんでいる日がつづく。
 今年は何十年ぶりとかで、雪の少かった年で、おかげで芝生は、早くから緑の姿をとり戻している。しかし何といっても緯度が高いので、立木はまだ冬の姿のままである。このあたりは、針葉樹は全然ないところで、街路樹も庭木も、みなエルムとか、樫とか、柏とかいう、闊葉樹ばかりである。それらの木は、まだ一月もしないと、新芽が出ないので、今のところは冬姿のままである。
 街路樹はもちろんのこと、庭木といっても、日本でいう庭木とは、全く意味がちがっている。全然人工の加わっていない自然のままの立木である。このあたりは拓けてからまだそう年月が経っていないので、もとの原始林の立木を、そのまま残したものが多い。それでこれらの庭木は、たいていは、三階建の家の屋根をはるかに越す背の高い木が多い。そういう大きい立木が、芝生の中に、きわめて無造作に、にょきにょき立っているのが、即ちこの土地での庭なのである。
 こういう風景は、日本内地では、ちょっと見かけられないが、札幌では、何も珍しいことではない。札幌の北大の構内は、エルムの学園などといわれて、戦前のまだ豊かであった日本では、東京などの若い人たちの間に、大いに人気があった。あの北大のエルムも、原始林の立木を、そのまま残したものである。
 十分に生長した闊葉樹の冬姿には、一種の魅力がある。葉がない点は、全く枯木と同じであるが、どこか枯木とは、ちがったところがある。葉は全然ないが、それは生きている。やがて緑の天蓋をもって、地上における人間の生活をまもってくれる気配が、その姿の中に秘められている。
 葉がないという点では、枯木も冬姿の闊葉樹も、全く同じはずである。しかしわれわれの目には、生きているものと、死んだものとの差が、ちゃんと分る。いわゆる科学的にいったら、ちょっと変な話であるが、事実分るのだから仕方がない。
 もっともこの差は、案外簡単なところにあるようにも思われる。それは枝振りである。亭々とそびえる樫の大樹が、空一杯に枝を張り、その梢が無数の小枝に分れて、網の目のように交錯している。その一本一本の小枝の先端にまで生命がみなぎっているように見える。それは生きている枝の微妙な形から受ける印象であろう。枯…

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