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母性愛の蟹
ぼせいあいのかに
作品ID57276
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第八巻」 岩波書店
2001(平成13)年5月7日
初出「あまカラ 第八十号」甘辛社、1958(昭和33)年4月5日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2016-05-19 / 2016-03-04
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 加賀の蟹は、東京などにもよく知られている。いわゆる「ずわい蟹」という。脚の長い形のよい蟹である。
 この蟹は、一般には、越前蟹と呼ばれているが、肉は白い大理石のような色をしていて、きめのこまかい締った肉の歯ごたえが、誰にも喜ばれている。
 しかしこの蟹とほとんど同じ時期に、「こうばく蟹」という小さい蟹も、北陸の沿岸では、たくさん漁れている。甲の大きさは、直径二寸足らず、細くすんなりと伸びた脚を伸ばしても、全長七寸程度の小さい蟹である。形はだいたい「ずわい蟹」と似ていて、少しお腹をふくらました感じである。
 このこうばく蟹は、ほんとうは、ずわい蟹の雌であって、ただ形がひどく小さいだけの違いである。似たような形というのも当り前であって、同じ種の雄と雌とである。ずわい蟹は、脚を伸ばすと、全長一尺五寸から、大きいのになると、二尺くらいもある。そういう立派な蟹と、全長七寸程度のこのこうばく蟹とをならべてみると、全く別の種類のように見える。しかし動物学的には、全く同じ種類の雄と雌とのちがいだけである。
 ところで、加賀の蟹として、一流の料理店で珍重されている雄よりも、この小型のこうばく蟹の方が、頭抜けてうまいのである。ただ見たところがちょっと貧弱なために、こうばく蟹の方は、値段がひどく安い。これはなにも今日の貨幣経済の世の中だけの話ではなく、私たちの子供の頃から、既にそうであった。北陸の片田舎で育った私など、子供の頃を思い出してみると、ずいぶん質素な生活をしていたものである。牛肉などは、一月に一度町へはいると、店屋の人が、小さい赤い旗を立てて、町をねり廻って、牛肉の入荷をふれて歩くような次第であった。
 子供たちのおやつは、季節毎にちがっていて、秋になればさつま芋、冬になると、このこうばく蟹であった。真赤にゆでたこうばく蟹を一ぴき、原形のままでもらって、それを庖丁など全然使わないで、手でちぎって食うのが、ならわしであった。まず甲羅を剥いで、その中にある「味噌」をなめる。この味噌はちょうどコキュールの白くぶよぶよしたものもおいしいが、あの味の中から、人工的な部分を取り除いて、天然におきかえたとすると、このこうばく蟹の「味噌」の味になる。
 ところがこの「味噌」はまだ、全くの序の口で、背の両側の肉の中にある内子が、こうばく蟹の真髄である。橙色を帯びた鮮かな赤色の、このこちこちとした内子の味は、ほかに類例のない不思議な味をもっている。この内子は、あるていど以上成熟すると、粒の存在がわかる程度に成長して、甲羅の裏についている蓋いぶたの中にたくわえられる。この蓋いぶたは、蝦にすれば、腰の曲った胴体に相当するものである。この中にある子は、外子といって、深紅色のつぶつぶである。この外子も歯ざわりがよくて、また別の味がする。内子も外子もともに、独特の味をもっているが、その基調となって…

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