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![]() ピーター・パン |
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作品ID | 57280 |
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著者 | 中谷 宇吉郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「中谷宇吉郎集 第八巻」 岩波書店 2001(平成13)年5月7日 |
初出 | 「新潮 第五十二巻第六号」1955(昭和30)年6月1日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2017-05-09 / 2017-04-19 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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ディズニイの『ピーター・パン』は、日本でもだいぶ好評だったらしいが、アメリカでも、たいへんな人気であった。普通アメリカでは、相当評判のよい映画でも、映画館の前に、行列を作るということは、滅多にない。しかしディズニイの長篇物は例外であって、その行列がけっして珍しくない。
『ピーター・パン』の場合も、そうであった。最初の上映以来数カ月経って、郊外の二流館、三流館へ廻ってきた頃になっても、やはり子供たちは、長い行列を作って、開館の時刻を待っていたものである。小学生のうちの末娘などは、六回か七回くらいも見たようであった。同じ学校の友だち連中は、誰も彼も皆それくらいは見ているというので、まあしかたがないということにしておいた。
先日の日曜に、一年ぶりで、また札幌でこの映画を見たが、あいかわらずおもしろかった。それに、日本へ帰ってから、見直したせいかもしれないが、この映画には、日本の昔の武士道的な性格が、その根柢に強くくい入っているような気がして、とくに印象が深かった。もっとも、それは西洋風な騎士道の精神であって、日本の武士道の一つの面が、それと似たものであるということかもしれない。
この映画の筋は、原作とはだいぶちがうが、要するに、永遠の子供の表徴であるピーター・パンと、悪の権化ともいうべき海賊の首領フック船長との戦いに、ピーター・パンが遂に勝つというところに、話の山がある。
フック船長は、人を殺すことなどは、なんとも思わない兇悪な男で、力も非常に強い。しかし精神は弱い。ピーターは、自由に空を飛び廻れる敏捷な子供で、力は強くないが、高い精神をもっている。海賊船の上でのフック船長との最後の決戦で、業を煮やしたフック船長が、「空を飛んで逃げてばかりいるのは卑怯だぞ」と、どなる。ピーターは「なに、卑怯だって。それならもう飛ばない」と言いきってしまう。それからは、帆柱の横桁の上での血戦になるわけであるが、フックの長刀に切りまくられたピーターは、桁のどんじりに追いつめられ、おまけに唯一の武器たる小刀まで打ち落されてしまう。絶体絶命の境である。ロンドンから一緒に飛んできた子供たちの一人、ウェンディが、帆柱の上から「ピーター、飛びなさい。飛びなさい」と絶叫する。しかしピーターは「私は約束した」と言って、断乎として踏みとどまる。
これがアメリカにおける初等教育の基本である。小学校における六年間の教育には、四つの基本線があるようである。第一は、「嘘をつかない」という教育を、躾として身につけさせること。第二は、それと関連しているが、約束は絶対に守ること。このプロミスという言葉には、誓の意味が、たぶんに含まれている。「アイ・ゲヴ・マイ・ウワーズ」した以上、それは取り戻せないことなのである。
第三は、開拓精神を失わないこと。百年前のアメリカは、今日とはまるで国の姿がちがっていた。…