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海底の散歩
かいていのさんぽ
作品ID57283
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
初出「読売新聞」読売新聞社、1951(昭和26)年8月20日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2021-03-11 / 2021-02-26
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今日の地球上で、人間の生活と縁が近いようで、その実いちばんかけはなれた世界は、水中の世界、すなわち水界である。虫も鳥も獣も人間も、空気中に住んでいる以上、それらは気界の生物である。
 水中の世界は、まったく別の世界である。われわれは魚と海藻、それに各種の海中動物の知識、それだけでもって、水界の景観を描きだしている。しかしその姿は、いわば頭の中で作りだされたもので、実際の海底の景観は、水中に潜って見なければ、実感をもって体験することはできない。行動の世界は思惟をもって律することができないのと同様である。
 八月十七日。忍路丸は熱海の沖合、ビダガネ岩礁の上に、さっきからずっと碇泊している。気づかわれた台風は、北西にそれたらしく、海はきわめて静かである。しかし台風の影響を受けて、うねりは少しある。海水はそのためにいくぶん濁り気味で、前日の透明度十一メートルが、今日は六メートルに減っている。きのうまで紺碧であった海水が、今日は少し白味を帯びて、青磁色がかって見える。
 まず無人テスト。つぎに設計者緒明氏たちの潜水。ともになんら異状が認められない。緒明氏と同乗した佐々木博士は、刻々に状況を電話で伝えてくる。海水は濁っていて、何も見えないが、機内はきわめて快適な状態にある。という嬉しそうな声である。
 潜水二十分。緒明氏たちが、元気な顔をして、ハッチから出てくる。ひきつづいて、写真班の宮崎君と、製作責任者関根氏とともに、機内に乗り込む。二人乗りに設計された潜水機であるから、少し窮屈ではあるが、短時間の潜水テストには十分である。
 ひととおり測器の点検をして、電話で降下を依頼する。うねりで船体が少しゆれているので、機はかなり動揺しながら、水中に入る。窓が海面にかかると、きゅうに周囲が薄緑色の世界になる。窓に砕ける波が、たくさんの泡沫をつくる。その無数の泡が、さかんに躍りながら、窓ガラスの前をあがっていく。ラムネびんの中にはいったような感じである。
 潜水し終った瞬間に、海面を下から仰いだ景色が、非常に印象的であった。明るい海面に、無数の波紋が美しい曲線をなして、ゆらゆらと遥曳している。碧一色の模様ではあるが、濃淡さまざまのその配合の動きは、まさに光の生きた芸術である。天然色の映画にとったら、さぞ美しい映画ができることだろうと、のんきなことを考えているうちに、十メートルぐらい一気に潜降する。
 ここで暫く潜水機を止めてもらって、観察をはじめた。四つの窓は、どれもこれも、油絵具の青緑色にホワイトを十分加えたような色をしている。機内は暗く、四つの窓からだけ、この碧の光がさしこんでくる。海水の色は、上から見た場合とは、まるで性質が違っている。水中の世界では、なんでも透過光で見るわけだから、もちろん異っているほうが当然である。ちょっと説明のしようのない色である。もし透明な碧玉とい…

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