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吉右衛門と神鳴
きちえもんとかみなり
作品ID57284
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
初出「文藝春秋 第二十八巻第九号」文藝春秋新社、1950(昭和25)年6月25日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2021-05-31 / 2021-04-27
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ついさき頃の『心』の中に、吉右衛門氏と小宮(豊隆)さんとの対談が載っていた。近来にない面白い対談で、芸というものの面白さと恐ろしさとがよく出ていた。
 その中で、一見あまり芸とは関係のないように見える話が一つある。それは吉右衛門氏が、非常な神鳴嫌いだという話である。神鳴が出そうな日は、何時間も前から、気分が悪くなって、今日は雷がきそうだということが分る。そしてそれがいつでもちゃんと当るそうである。
 こういう話は、何も吉右衛門だけに限らず、よくそういう人がある。夕方に神鳴がきそうな日には、ひる頃からもう頭が痛くなって、蚊帳をつってねてしまうという話は、度々きいたことがある。現代の科学では、人間には未来を予知する能力はないことになっているので、こういう予感が本当に的中するものならば、何か其処にわけがあるにちがいない。
 神鳴がくる日は、ひるから頭が痛いとか気分が悪いとかいう話は、聞き流してしまえば、それだけの話である。しかしそれがもし本当ならば、人間に未来を予知する能力があるか否かという問題として、採り上げることも出来る。そうしたら、これはたいへんな大問題である。もっともそれが「もし本当ならば」というさり気ない言葉が、ここでは曲者なのである。「もし本当ならば」の意味を、少し詳しくいうと、それはその予感の的中が、百発百中であるということを意味している。予感の的中というようなものは、それが百発百中であるか、百発八十中くらいであるかによって、その意味が大いに異なってくる。百発百中ならば、何か未来の神鳴の現象と、現在の感覚との間に、一本の因果関係があることになる。百発八十中くらいならば、将来神鳴が起りそうな現在の気象条件と現在の感覚との間の関係になる。それならば話が簡単である。その的中は、確からしさの程度の問題になる。
 天気予報というものは、この確からしさの部類に入るもので、それだから現在の科学の仲間にはいっているのである。何時間後かに雷が発生しそうな気象条件は、気象学の方で分っている。そういう気象条件を、特別に鋭敏な感覚を持っている人が感じて、それで気分が悪くなるのだったら、話は非常に分りいい。その代りに、稀れには、あるいは案外時々は、気分が悪くなっても、その後に神鳴がこないこともあるはずである。しかしそういう場合はとかく忘れてしまいやすいもので、本当に神鳴が来た時の印象だけが、記憶に残る。そうすると、あたかも、神鳴の来るのが、いつでも前から分るような気になる。これならば話は簡単であり、かつこういう場合が、かなり多いのであろうと思われる。
 もっともこの話には、ちょっと誤魔化しがあるともいえるので、厳密にいうと、百発百中の場合でも、やはり予言は確からしさの問題である。唯その確からしさの程度が、非常に高いだけのことである。こういう抗議が、理論的な学者からは出ること…

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