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身辺雑記
しんぺんざっき
作品ID57287
副題――『日本のこころ』を囲って――
――『にほんのこころ』をめぐって――
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
初出「文学界 第六巻第一号」文藝春秋新社、1952(昭和27)年1月1日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2021-04-11 / 2021-03-27
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 私がものを書き出したのは、四十くらいからのことで、まだ十二、三年にしかならない。それにしては、ずいぶんたくさん書き散らしたもので、曠職のそしりは、所詮まぬかれないものと、内心観念している。
 しかし少しくらい、あるいは大いに、評判が悪くなっても、それを償ってあまりあるくらいの歓びがある。どんなに小さいものでも、ものを創る歓びは、何ものにも換えられない。実験が一段落ついて、何か瑣細なしかし新しいことがらが分った時と、少し気に入った随筆を一篇書き上げた時とは、同じような興奮と安堵とを感ずる。どうせ人間百年は生きられないのであるから、こういう歓びを享受しなくてはつまらないと、すっかり度胸をきめて、この頃は悪びれずに書くことにしている。
 ところが、最近そういうささやかな歓びとは、比較にならぬ大歓喜にめぐり遭って、いささか呆然とした。それは『あるびよん』の九月号に載った、如是閑先生の「イギリス式日本のこころ」である。褒められたといえば自惚れになるが、私が現代の日本人中最も尊敬している人の一人である如是閑先生が、非常な好感をもって、私の本について八頁にも及ぶ長文のものを書いて下さったことを、冥加の至りと感じている。ものを書き出してから十数年の間に、あんなに嬉しかったことはなく、また今後もないことだろうと思う。嬉しかったのだから、悪びれずに喜んで、こういう雑記を書くことにした。
 ついでのことに、少し図に乗って、いい気なことを書くが、一番嬉しかったことは、イギリス式と銘を打たれたことである。実は、若い頃から英国が好きで、留学国としては、一も二もなく英国を選んだのである。私は運がよくて、若いうちに留学が出来た。大学を出て三年して、旧年齢二十八歳で外国へやられたのであるが、当時の日本の物理学界は独逸万能であった。原子物理学勃興時代で、独逸がその方面で世界の花形であり、錚々たる学者が雲の如く輩出した。それで物理の留学生といえば、独逸へ行くものと決っていた。事実、本気で物理学をやろうと思えば、独逸へ行くのが正統であり、また一番有効でもあったのであるが、私は自分の好き嫌いだけの問題で、英国を留学国に選んだ。たしか私一人だったかと思う。そして独逸へ行った連中が、華々しく原子物理学の研究に突入している噂をききながら、私は倫敦のキングス・カレッジの陰気な地下室で、古ぼけた器械を使って、長波長X線の退屈な実験をしていた。それでも別に不満はなかった。自分で好きこのんで行ったのだから仕方がない。
 留学中に、長岡先生が、欧洲の学会へ出席された帰りに、倫敦へ立ち寄られたことがあった。キングス・カレッジも訪問されて、たしかアップルトン卿(当時はまだ卿ではなく、新進の電波学者であった)だったかの案内で、実験室を見て廻られた。地下室の私の部屋へこられた時、先生は途端に「なんだ、君、こんなとこ…

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