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私のふるさと
わたしのふるさと
作品ID57294
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2015-12-23 / 2015-09-01
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 私のふるさとは、石川県の片山津という温泉地である。柴山潟という湖のほとりにあって、私の子供のころは、まだ淋しい湖畔の小さい温泉地であった。
 この潟にはあしが一面に生えていて、ばんという黒い水鳥が、たくさん棲んでいた。泉鏡花の小説にも出てくるが、このばんという鳥は、何となくこの世ばなれをした感じを与える鳥である。女のたましいを思わすような眼をしている。それも玄人風な女である。
 温泉地であるから、毎晩のように三味線の音や女の唄声などが、宿屋の明るい窓を洩れて、暗い湖の面に消えていくというような風情があった。もっともその頃はまだ電灯のなかった頃で、街は暗く、それにひどい田舎の温泉地のことであるから、色っぽいところがあったといっても、きわめて素朴なものであった。
 北陸地方のことであるから、冬になると、よく雪やみぞれをまじえた強い風が吹いた。そういう時は、温泉宿にもほとんど客がなく、湖がまるで海のように荒れた。その浪音が、床の中までひびき、枕もとのランプの小さい火がゆらゆらと動いた。戸じまりの悪い田舎の家は、いろいろなところが、がたがたと鳴った。
 そういう晩は、私と弟は、祖母の床にもぐり込み、その両わきにぴったりと身をよせてねた。祖母は、天狗の話だの、海坊主の話だのをよくしてくれた。近くのどこそこの子供が天狗にさらわれたり、隣り村の何兵衛さんが、今夜のような晩に、潟へ出ていて、海坊主に遇ったりした話である。祖母の若い時代には、そういうものが、この湖のほとりには実際にいたのである。
 小学校へはいると同時に、私はこの土地を離れたので、温泉地の姿そのものの印象はうすい。私のふるさとは、この祖母の話の中に一番多く生きているようである。
(昭和二十六年五月放送)



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