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ケリイさんのこと
ケリイさんのこと
作品ID57296
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第六巻」 岩波書店
2001(平成13)年3月5日
初出「新潮 第五十一巻第四号」1954(昭和29)年4月1日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2016-09-03 / 2016-06-10
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十二月の初め頃、ちょっと用事があって、ワシントンへ出かけた。実は用事といっても、大したことはなかったので、久しぶりにケリイさんに会ってみたいという気持もあったからである。
 ケリイ博士といえば、日本の自然科学関係者の間には、非常に親しい名前である。終戦後間もなく日本へやってきて、総司令部の経済科学局で、自然科学方面の主任を、ずっとやっていた物理学者である。たしか講和会議のすぐ前までいたはずで、日本に対して、非常に深い理解をもっていた。終戦直後の虚脱状態にあった日本の科学界が、案外早く息を吹き返したのは、この人の親身も及ばぬ介抱が、大いに役に立った。
 占領軍としての総司令部は、各種の政策を残していったが、その中には、今日になれば、いろいろ批判されることもあろう。しかし自然科学に関する限りは、その施策は、かなり適正なものであったし、また親切でもあったと思われる。とにかく、日本の科学界は、私たちが初めに予想したよりも、ずっと急速に、その体力を恢復したという感じがする。
 日本は、現実問題として、世界の歴史に残るような完全敗北を喫したのである。そういう敗戦国で、敗戦後八年目には、もう世界の理論物理学会の大会が開かれたのである。しかも東洋というハンディキャップを入れての話であるから、こういうことは、世界的にいって、ちょっと類例がないであろう。これにはもちろん、湯川さんや朝永さんを初めとする日本の理論物理学者たちの力が大いに働いているが、その外に、日本の科学界が蘇生したという点も、一つの有力な背景をなしている。そしてその蔭には、ケリイさんの隠れた功績が、少なくも一つの礎石として、立派に存在しているように思われる。
 ケリイさんに初めて会ったのは、終戦後そう間もない頃で、たしか冬の初めであった。あの頃のことは、記憶が少しぼんやりしていて、最初の冬であったか、次の年の冬であったか、はっきりしない。とにかくまだひどい時代であった。北大の各研究室の様子を見にきたわけであるが、当時の北大は、石炭不足のために煖房が止っていた。札幌の冬を煖房なしには過せない。従って講義は冬季の四か月間休講、病院も半分閉鎖、手術もたしか一週一回という状態であった。手術室を毎日暖めることが出来なかったからである。「盲腸になるんだったら、夏まで待たなきゃあ」と冗談をいっていたが、実際気の毒な急患もあったことであろう。それに私たちの関係では、低温研究所が、兵舎として接収されていた。
 ケリイさんは、こういう問題を一々丁寧に調べ上げて、その解決のために、いろいろ尽力してくれた。低温研究所の接収解除などにも、大いに働いてくれた。文官が軍人のすることに嘴を容れることは、アメリカでも、もとの日本同様に、非常にむつかしいのであるが、ケリイさんは、到頭それを実現させてしまった。少なくも解除の促進をやってくれた。
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