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詩人への註文
しじんへのちゅうもん
作品ID57304
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第五巻」 岩波書店
2001(平成13)年2月5日
初出「至上律 第二輯」1947(昭和22)年11月30日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2021-01-30 / 2020-12-27
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「絵なき絵本」には、たいへん立派な作品がある。
 それにあやかるというのも不遜な話であるが、「詩なき詩論」を考えてみようという気になった。それは表題の「詩人への註文」という無理な題を押しつけられた苦しまぎれに、ふと頭に浮んだテーマである。
 私はほとんど詩を読まない。別に理由はないので、面白味がよく分らないからである。昔高等学校時代には、御同様に文学熱に少々浮かされたこともある。その頃の友人たちは、夢中になって外国の詩の翻訳などに入れ揚げていたものであるが、私にはそれ等の近代詩はよく分らなかった。そして分らないと思われるのがいやさに、適当に敬遠してしまったのが、つい今日まで根をひいたものらしい。
 私が時々ひろげてみた詩は、藤村詩集くらいのものである。少々気恥しくもあるが、あの程度の甘いものが、ちょうど身に合っていたのであろう。もっとも商売がまるでちがうので、悪びれる必要もなく、藤村くらいのところがちょうどよいのだなどといってすましていたわけである。そして相手がおとなしい学生などの場合には、時たまそれに輪をかけることもある。漢詩の意識で育て上げられた日本人に、日本語の詩を教えたものは藤村だよなどと、少々いい気になっていたものである。「夕波くらく啼く千鳥」ではじまるあの『草枕』がよほど気に入っていたらしく、もう藤村詩集をはなれて二十年以上になるが、妙にあの詩は今でもうろ憶えながら大半はおぼえている。陸奥の海辺の旅路に、まだ寒い早春の藪鶯の稚い声をきき、「色なき石を花と見」る旅寝のあかつき、押し寄せる春の潮とともに、ほのかに日本語の詩の黎明を感ずる若い藤村の姿を、まぼろしのように思い見たこともある。
 この頃は流石に藤村でもないので、人にきかれても体裁の良いような詩を時々読んでいる。岩波文庫の『杜詩』である。値が安いのと、型が小さいのと、知らない漢字が沢山あって時間がかかるのと、三拍子揃っているので、専ら『杜詩』に凝ることにしている。墨絵を描く時などは、特に妙であって、どんな絵を描いても、どんな気分の時でも、『杜詩』さえ見れば、必ずその場にうまく合うような文句がある。それに落款を押す時には下敷にちょうど手頃であるし、あんな重宝な本はない。

 科学の基礎を論じたい時は、Uniformity of Nature(自然の調和)がちゃんと桜ん坊の詩で詠んであるから、それを引用すればよい。
万顆[#挿絵]円訝許同  万顆ことごとく円にしてかくも同じきかを訝かる
 この頃の社会政策や農村政策を暗示した文句が欲しい場合にも、うまいのがちゃんとある。今こそ米々と皆が常軌を逸しているが、七八年前には農林省に米穀利用研究所というものがあって、いろいろ研究した揚句、一番経済的な米価安定策は、米を海へもって行って棄てることだなどといっていたものである。世界的食糧過剰を眼前にして、無理…

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