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救われた稀本
すくわれたきぼん
副題——寺田寅彦著『物理学序説』
——てらだとらひこちょ『ぶつりがくじょせつ』
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第五巻」 岩波書店
2001(平成13)年2月5日
初出「物理学序説」岩波書店、1947(昭和22)年4月5日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2017-12-27 / 2017-12-10
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この書は未完であり、かついわば草稿であって、まだ十分な推敲を経たものではない。しかしこの書は、わが国では類例の少い独自の著述である。このままの形でも、真に学問を愛し、科学の本質を知りたいと願う人々に、一度熟読をすすめたい本である。
 終戦直後、九州のある友人から、むつかしい質問をうけたことがある。それは公共的な意味で使いたい紙の手持ちが少しあるが、それを新生日本の糧として残すという意味で、本にして少数の人に配っておきたい、その目的に適うような本を、明治・大正・昭和を通じて一冊だけ選んで貰いたいというのである。
 これはずいぶんむつかしい話であるが、いろいろ考えあぐんだ末、結局私はこの『物理学序説』を推薦した。ずいぶん大胆な話であるが、私の知っている範囲内では、そういう無理な註文に対しては、外にいい考えが浮かばなかったのである。実はこの『物理学序説』には私は前から少し因縁のようなものがあった。この原稿は危く誰の眼にもふれないで、湮滅してしまう危険がたぶんにあったのであるが、幸運にも全集編纂の時に、世に出ることになったのである。
 この原稿は、岩波書店で昔『科学叢書』というものが計画された時に、そのうちの一冊として書き始められたものである。全集編輯者の調べられたところによると、大正九年(一九二〇)十一月十二日に稿を起し、予定の三分の一余りのところで中止されて、未完結のまま残されていたものである。先生にこういう意図があったことは、初めは誰も余りよく知らなかったようである。
 大正十五年の秋ごろかと思うが、理研で先生の助手をつとめていたころ、よく毎晩のようにおそくまで、曙町の応接間でいろいろな話をきいたことがある。ある晩のこと、先生は日本の物理学界の現状と、研究者の心構えとについて、大いに気焔をあげられたことがあった。その時の話の中に「僕はそのうちに『物理学序説』というものを書くつもりだ。今はとても忙しいし、それにどうも差障りがありそうだから、今に六十になって停年になったら、一つそれを書いて、大いに天下の物理学者に、物理学というものはどういうものかを教育してやるつもりだ」というような話があった。
 先生は大勢の人の前では非常なはにかみ屋であったが、二三人の弟子たちを前にして、実験室の中やお宅の応接間などで話をされる時は、よく「気焔をあげ」られたものである。特に機嫌がよい時には、灸所をついた大気焔が、つぎつぎと出て来たものであった。この時の話もそのうちの一つであって、当時は別にそう特に重要な話だとも思っていなかった。
 先生が亡くなられて、全集編纂の話が出た時に、私はふとその時の話を思い出した。それでその話をお宅の方にも岩波書店の小林君にもしておいた。その後いろいろな人が書斎の中を整理して、その都度この草稿が問題になったのであるが、ついに見付からなかったということで…

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