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入江のほとり
いりえのほとり
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第五卷」 福武書店
1983(昭和58)年12月25日
初出「太陽 第二十一巻第四号」博文館、1915(大正4)年4月1日
入力者山村信一郎
校正者フクポー
公開 / 更新2018-10-28 / 2018-10-01
長さの目安約 52 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 長兄の榮一が奈良から出した繪葉書は三人の弟と二人の妹の手から手へ渡つた。が、勝代の外には誰れも興を寄せて見る者はなかつた。
「何處へ行つても枯野で寂しい。二三日大阪で遊んで、十日ごろに歸省するつもりだ。」と鉛筆で存在に書いてある文字を、鐵縁の近眼鏡を掛けた勝代は、目を凝らして判じ讀みしながら、
「十日と云へば明後日だ。良さんはもう一日二日延して、榮さんに會ふてから學校へ行くとえゝのに。」
「會つたつて何にもならんさ。」良吉は卒氣なく云つて、「今時分は奈良も京都も寒くつて駄目だらうな。わしが行つた時は暑くつて弱つたが、今度は花盛りに一度大和巡りをしたいな。初瀬の方から多武の峰へ廻つて、それから山越しで吉野へ出て、高野山へも登つて見たいよ。足の丈夫な間は歩けるだけ方々歩いとかなきや損だ。」
「勝は何處も見物なぞしたうない。東京へ行つても寄宿舍の内にぢつとしてゐて、休日にも外へは出まいと思ふとるの。」勝代はわざと哀れを籠めた聲音でかう云つて、先つきから一言も口を利かないで、炬燵に頬杖突いてゐる辰男に向つて、「辰さんは今年の暑中休暇にでも遠方へ旅行して來なさいな。家の者は男は皆んな東京や大阪や、名所見物をしとるし、温泉へも行つたりしとるのに、辰さんばかりは些とも旅行しとらんのぢやから、氣の毒に思はれる。自分では東京へ行つて見たいとも思はんのかな。」
「行けりや行つてもいゝけど……。」辰男は低い錆びた聲で不明瞭な返事をして、口端を舐めづつた。
「わしが東京に居る間に來りやよかつたのに。下宿屋に泊つてゝ電車で見物すりや幾らも金は入らないんだから。」
「勝と辰さんは電車を見たこともないのぢやから、兄弟中で一番時代遲れの田舍者だ。勝は岡山まで汽車に乘つてさへ頭痛がするのに、東京まで何百里も乘つたら卒倒するかも知れんから、心配でならんがな。その代り東京へ行つたら、三年でも四年でも家へは戻らんつもりだ。」
「わしの春休みの間に行くやうにすりや、連れてゝやらあ。さうしたら歸りに大和巡りも出來るし丁度都合がいゝんだよ。」
「いや/\、勝は一人で行かう。それくらゐの甲斐性がなければ、自分の目的は遂げられやせんもの。」
「口でこそ元氣のいゝことを云つてゐても、途中で腹が痛んだり、汽車に醉つたりしたらどうするんだい。自分の村でさへ出歩けない者が、方角も分らない東京へ行つてマゴマゴすると思ふと心細くなるだらう。東京のいゝ家では、つい近所へでも若い女一人外へ出しやしないよ。榮さんが歸つて來たらよく聞いて見るといゝ。」
「死んだつて關はん覺悟をしとるんだもの……。」
 勝代は負けぬ氣でさう云つて口を噤んだが、ふと不安の思ひが萌して顏が曇つて來た。良吉も話を外らして、小さい弟を綾しなどした。
 そこへ晩餐の報知が階下から聞えたので、皆んなドヤドヤと下りて行つたが、勝代は一人後へ殘つて、二…

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