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低温室だより
ていおんしつだより
作品ID57327
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第三巻」 岩波書店
2000(平成12)年12月5日
初出一「婦人之友 第三十四巻第八号」婦人之友社、1940(昭和15)年8月1日<br>二「岩波講座物理学 月報十九号」岩波書店、1940(昭和15)年8月29日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2021-07-04 / 2021-06-28
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 御名前の記憶ちがいだったら大変失礼であるが、楚人冠先生か誰かの随筆の中にこんな話があった。
 先生が、大分昔の話であるが、どこかの田舎で講演をされたことがあった。聴衆は村の人たちで、知識階級などというものとは凡そ縁の遠い、ただの農家の主人とか娘さんとかいう人たちであった。
 その講演がすんで辞去されようとしたら、世話役の人が、とんでもなく大きい籠に卵を一杯入れて、御礼にくれたそうである。昔のことで、卵などふんだんにあった時代の話なので、先生は少し持て余し気味ながら、折角の厚意と思って貰って帰られたそうである。
 ところが、家へ帰ってその卵を喰べようとしたら、一つ一つにそれぞれ名前が書いてあることに気がつかれた。即ちその時の聴衆が、御礼心にそれぞれいくつかの卵を自分の家から持ちよったものであった。
 毎日その卵を一つ一つ召し上った時の先生の嬉しそうな顔がその文章のどこかにほの見えていた。
 この話と関連して思い出したのは、御礼状のことである。この頃、特に夏休みになると、色々な人が、ひっきりなしに私どもの低温研究室を見学に見えるので、いささか閉口している。もっともそういう方たちに実験の結果や低温室の設備の説明をすることも、広い意味でのつとめの一つなので、出来るだけ時間を繰り合せて案内をすることにはしている。
 ところで、そういう人たちの大多数の方は、帰られてから御礼状をよこされる。それは大抵きまって邦文タイプライターの書状か、或は奉書の巻紙に楷書で丁寧に認めたものかである。邦文タイプライターの方は、主として官庁関係に多く、巻紙の方は実業方面で、秘書が丁重に認めたものである。こちらはつぎつぎと仕事に追われているので、こういう御礼状などは貰っても、それを印象に留めることは出来ないのであるから、少し無駄だという気もするが、先方にしたら、見学や出張の締めくくりをするという意味でも、全然放っておくことも出来ないのであろう。
 勿論そういう儀礼上の手紙ばかりではなく、本当に丁寧に自分で認めて、色々と見学の際の印象などを詳しく言ってよこされる方もあるので、その方は聊か恐縮ものである。
 ところが、この頃儀礼でも恐縮でもない極めて朗かな御礼状を貰ってちょっと愉快だったことがある。それは東京の或る女学校の専攻科の人たちが見えたことがあって、その人たちの御礼状であるが、葉書二枚に、一行三十人ばかりで寄せ書をしてよこされたのである。
 一枚の葉書に十五人ばかりの割で、それぞれ二三行ずつ御礼の言葉だの印象だのを書いて寄こされたので、大体蟻位の大きさの字でぎっしり一面に書き込んであった。まだまだ若いつもりであったが、流石にこの葉書にはちょっと眼がまじまじとしたので、眼鏡をとり出して、一つずつ拾って読んで見た。
 色々な文章があって、特にこういう場合は大抵皆同じ意味の言葉になってし…

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