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壁画摸写
へきがもしゃ
作品ID57329
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第三巻」 岩波書店
2000(平成12)年12月5日
初出「文藝春秋 第十九巻第一号」文藝春秋社、1941(昭和16)年1月1日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2021-05-15 / 2021-04-27
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 二千六百年の記念事業の中で、百年後の日本人に最も感謝されるものは、今度の法隆寺の壁画の摸写ではあるまいかと、友人の一人が私に語ってくれたことがある。
 そう聞いて見れば、なる程その通りかもしれないという気がする。法隆寺の壁画のことは、色々と美しい感嘆の言葉は聞いているが、まだ見たことはなかった。もっとも機会を作れば、春秋の拝観期に大和を訪れることも出来なくもなかったが、懐中電灯の光でぬすみ見る程度では、吾々素人にはその価値が分りそうにも思えなかった。
 ところがこの頃、蛍光灯の光で見た壁画の美しさと貴さとを讃仰する記事を新聞で読んで以来、急にこういう機会に一度あの壁画を見たいものだという気持が強くなった。吾々の民族の持った最高の芸術品が、千年の闇の中から初めて白日の下に浮き出たという、そのことだけでも、心を惹かれるに十分であった。もっともそれが案外本音であって、白鳳時代か奈良朝の初期か、いずれにしてもその頃の歴史も美術もしらない私たちが、鑑賞しようなどというのは少し大それた考えなのであろう。
 新涼の頃からぼんやりそんなことを考えていた矢先、思いがけず仏事で郷里へ帰ることになり、二三日の暇を大和に割く機会が出来た。それに友人Y君が案内に立とうという話もあって、難なく待望の壁画を見ることが出来たのであった。そして今も眼底に残る数々の像を思い見ながら、大和まで足を伸したことは十分酬いられたと感謝の気持になっている。これも仏縁の一つのあらわれであろう。
 法隆寺へ着いたのは、十一月の三日であった。毎年のことながら、明治節の空は高く澄み上って、沢山の参詣者たちは、誰もこの絶好の秋日和を愉んでいるように見えた。久し振りで北海道から出て行った私には、特に周囲の景色が心に沁みて嬉しかった。
 Y君はちょうど今壁画の摸写をやっている森田沙夷氏を知っているというので、先ずその住所を訪ねることにした。それは直ぐ分って、私たちは白く乾いた法隆寺の古い土塀に沿って、阿弥陀院というその仮りの宿舎を訪ねて行った。少し崩れおちた土塀には秋の陽が暖かくさしていた。
 森田氏は留守であった。今日は電気が休みで蛍光灯が使えない為に、摸写はお休みになったのだそうである。少し失望した私たちは、それでも管長の佐伯定胤師に会って、色々話を聞いて、元気を出して金堂の方へ行って見た。ところが、運よくちょうど電気が来て、蛍光灯が煌々と輝いていたので、非常に嬉しかった。
 壁画の摸写中は、勿論内陣へははいれないのであるが、外の廊下から、二号壁の弥勒像だけは、直ぐ間近に見ることが出来た。ちょうどこの壁は荒井寛方氏の助手役の藤井白映氏と鈴木三朝氏とが摸写にかかっているので、蛍光灯が二組差し向けられ、まるで直射日光に照らされたかのように、暗い金堂の中に浮き出ていた。
 写真で見たことのある、等身より少し大きい弥勒…

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