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竹乃里人
たけのさとびと |
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作品ID | 57338 |
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著者 | 伊藤 左千夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「子規選集 第十二巻 子規の思い出」 増進会出版社 2002(平成14)年11月5日 |
初出 | 竹乃里人「馬醉木 第六號」根岸短歌会、1903(明治36)年11月13日<br>竹乃里人「馬醉木 第八號」根岸短歌会、1904(明治37)年2月2日<br>竹の里人「馬醉木 第十一號」根岸短歌会、1904(明治37)年5月5日<br>竹乃里人「馬醉木 第十二號」根岸短歌会、1904(明治37)年7月15日<br>竹の里人「馬醉木 第十三號」根岸短歌会、1904(明治37)年8月25日 |
入力者 | 高瀬竜一 |
校正者 | hitsuji |
公開 / 更新 | 2022-07-30 / 2022-06-26 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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先生が理性に勝れて居ったことは何人も承知しているところだが、また一方には非度く涙もろくて情的な気の弱いところのあった人である、それは長らく煩って寝ていたせいでもあろうけれど、些細なことにも非常に腹立って、涙をこぼす果ては声を立てて泣くようなことが珍らしくない、その替わりタワイもないことにも悦ぶこともある。
一昨年の秋加藤恒忠氏が、ベルギー公使に赴任する前にちょっと来られた時なども、オイオイと泣かれた加藤氏から貴様にも似合わんじゃないかと叱られたような訳で少し烈しく感情を激すると、モウたまらなくて泣く人であった。内輪の人に対して腹立たり叱ったり泣たりするのも、皆一時の激情に過ぎないので、理屈もなにもなかったのである。
自分が少しのことにも感情を激するくらいであるから、人に対してはそれは随分周密に注意せられていたようであった、どこまでも理は正していられたけれど他の感情を害するようなことはまた決してなし得なかった、そういう訳であるから、理屈の上では非常に厳重で冷酷なことをいうても、その涙もろい情的の方面になるとすぐ以前と反対なことをやるようなことがしばしばあった。
同人諸君の内でも、虚子君、鼠骨君、秀真君、義郎君等は、いわゆる上口の方で酒をやらるる諸君のところ、先生はしきりに酒を飲んではいけぬといわれた、種々理由もあったようであるが、古来酒を飲んだ人にえらいことをやった人がないなどといわれていた、従て前数氏の人々などには随分冷酷な注告をせられたこともあったらしい、鼠骨君などからは、この断酒注告につきての不平を聞かせられたこともある、義郎君などは最も非度く痛罵せられた方である。
しかしこれが皆前にいう通り、理屈の上のことばかりで、先生の所で何かにつけ飯が出る、また飲食会がある、それに必ず欠かさず酒を出すのだ、一方では冷酷に意見をしながら、すぐその跡から酒を出すからいかにも矛盾している、ちょっとおかしく思われるが、ここが先生の涙もろいところだ。
一所に飯をくいながらも、好きな酒を飲せぬというはいかにも残酷なようで、とても堪られんというのである、一度先生と交際した人は皆何となく離れられない風があるのも、こんなところからであろう。
吾輩などは馬鹿に抹茶が好きであるから、先生の所へ往っても、どうかすると抹茶的議論などがでる、もっとも先生は絶対に抹茶を排した訳ではなかったが、世間普通の茶人という奴が、実に馬鹿らしく形式だった厭味なものであるので、吾輩の抹茶についても時折嘲笑的痛罵を頂戴したことがあったのである、だがそれもやはり酒のような筆法で、吾輩が非常に茶を好むというところから、抹茶の器具が一通り備られてあった、吾輩が数年の間に幾百回と通った内に、ただの一回でもこの抹茶の設備と抹茶的菓子の用意とが欠けたことがないのである、
明治三十三年の夏、長塚君と日光まで…