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小僧の夢
こぞうのゆめ
作品ID57344
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「潤一郎ラビリンスⅤ――少年の王国」 中公文庫、中央公論新社
1998(平成10)年9月18日
初出「福岡日日新聞」1917(大正6)年3月4日~4月11日
入力者しりかげる
校正者岡村和彦
公開 / 更新2023-07-24 / 2023-07-17
長さの目安約 62 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(一)の一
………己は名前を庄太郎と云って、今年十六歳になる商店の小僧だ。己の勤めて居る商店は、銀座三丁目の大通りにある、池田屋と云う洋酒店だが、京橋近辺に住んで居る人は大概知って居るだろう。日本橋の方から来て、京橋を渡って、五六丁行った左側に、あんまり立派でもないけれど、小綺麗なショウ、ウインドウの附いて居る、二階建て西洋造りの店があるだろう。その二階の窓から、夕方になると、十七八の、髪をハイカラに結った美しいお嬢さんが、時々うっとりと往来を眺めて居ることがあるだろう。池田屋と云って分らなければ、此のお嬢さんの住んで居る店だと云ったら、多分知らない者はあるまい。己の信ずる所によると、内のお嬢さんは、銀座街頭第一の美姫なのだから。
しかし、若しも読者が、今後銀座の大通りを散歩する折があったら、二階の窓のお嬢さんを拝む序に、店先の帳場の椅子に腰かけて居る、色の黒い、眼の窪んだ、極めて陰鬱な表情を持った一人の小僧に一瞥を与えてくれ給え。そうして、能う可くんば其の小僧の貧相な顔つきと、哀れな服装と、見すぼらしい境遇とに、一片の同情を寄せてくれ給え。
尤も、己ばかりが小僧をして居る訳でもないから、従って己ばかりが諸君の同情を要求する権利は無いかも知れない。先ず此の銀座通りだけでも、門並の商店に奉公して居る丁稚の数は、幾百人幾千人あるか分らない。己と同じくらいの年配で、自分の実家が貧しい為めに、中学へも行けず、親の傍にも置かれず、奉公に出された人間は定めし多勢あるだろう。内の店などは、主人夫婦も割合に親切だし、店員にも意地の悪い者は少いし、おまけに例のお嬢さんのお顔を、朝晩拝む事が出来るのだから、孰方かと云うと、まあ己なんかは小僧の中で運のいゝ方なんだ。考えて見ると、己が自分の境遇を呪ったりするのは、我が儘過ぎる話なのだ………けれども或る一人の人間の境遇が、幸福になり不幸になるのは、主として其の人の客観的の位地に依って決するのではなく、寧ろ彼自身の主観の状態に依って決するのだ。小僧の癖に生意気な事を云うようだが、世間には奉公人と云う、窮屈な不公平な、何等の価値も意義もない地位や生活に満足して、せっせと働いて居る丁稚や番頭が沢山ある。或は又、奉公人のする仕事を無意味であり無価値であると知りながら、到底自分は其れ以上の身分に登れる資格がないとあきらめて、現在の地位に満足して居る人間もある。彼等に取っては必ずしも其の境遇は不幸でなく、彼等は決して同情を要求する権利はないのだ。ところが己は、そう云う種類の人間と全く頭が違って居る。己は自分の能力や材幹を、丁稚奉公に適当であると思った事は一遍もない。己は今でも、中学校の一年生や二年生には負けない積りだが、若しも順当に高等教育を受ける事が出来たら、どんなにえらい人物になれるか分らない男なんだ。それだけに、己がこんな小僧の境遇に堕ち…

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