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小さな王国
ちいさなおうこく
作品ID57345
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「潤一郎ラビリンスⅤ――少年の王国」 中公文庫、中央公論新社
1998(平成10)年9月18日
初出「中外」1918(大正7)年8月号
入力者しりかげる
校正者岡村和彦
公開 / 更新2023-07-30 / 2023-07-17
長さの目安約 48 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

貝島昌吉がG県のM市の小学校へ転任したのは、今から二年ばかり前、ちょうど彼が三十六歳の時である。彼は純粋の江戸っ児で、生れは浅草の聖天町であるが、舊幕時代の漢学者であった父の遺伝を受けたものか、幼い頃から学問が好きであった為めに、とう/\一生を過ってしまった。―――と、今ではそう思ってあきらめて居る。実際、なんぼ彼が世渡りの拙い男でも、学問で身を立てようなどゝしなかったら、―――何処かの商店へ丁稚奉公に行ってせっせと働きでもして居たら、―――今頃は一とかどの商人になって居られたかも知れない。少くとも自分の一家を支えて、安楽に暮らして行くだけの事は出来たに違いない。もと/\、中学校へも上げて貰うことが出来ないような貧しい家庭に育ちながら、学者になろうとしたのが大きな間違いであった。高等小学を卒業した時に、父親が奉公の口を捜して小僧になれと云ったのを、彼は飽く迄反対してお茶の水の尋常師範学校へ這入った。そうして、二十の歳に卒業すると、直ぐに浅草区のC小学校の先生になった。その時の月給はたしか十八圓であった。当時の彼の考では、勿論いつまでも小学校の教師で甘んずる積りはなく、一方に自活の道を講じつゝ、一方では大いに独学で勉強しようと云う気であった。彼が大好きな歴史学、―――日本支那の東洋史を研究して、行く末は文学博士になってやろうと云うくらいな抱負を持って居た。ところが貝島が二十四の歳に父が亡くなって、その後間もなく妻を娶ってから、だん/\以前の抱負や意気込みが消磨してしまった。彼は第一に女房が可愛くてたまらなかった。その時まで学問に夢中になって、女の事なぞ振り向きもしなかった彼は、新世帯の嬉しさがしみ/″\と感ぜられて来るに従い、多くの平凡人と同じように知らず識らず小成に安んずるようになった。そのうちには子供が生れる、月給も少しは殖えて来る、と云うような訳で、彼はいつしか立身出世の志を全く失ったのである。
総領の娘が生れたのは、彼がC小学校から下谷区のH小学校へ転じた折で、その時の月給は二十圓であった。それから日本橋区のS小学校、赤坂区のT小学校と市内の各所へ転勤して教鞭を執って居た十五年の間に、彼の地位も追い/\に高まって、月俸四十五圓の訓導と云うところまで漕ぎつけた。が、彼の収入よりも、彼の一家の生活費の方が遥かに急激な速力を以て増加する為めに、年々彼の貧窮の度合は甚しくなる一方であった。総領の娘が生れた翌々年に今度は長男の子が生れる。次から次へと都合六人の男や女の子が生れて、教師になってから十七年目に、一家を挙げてG県へ引き移る時分には、恰も七人目の赤ん坊が細君の腹の中にあった。
東京に生い立って、半生を東京に過して来た彼が、突然G県へ引き移ったのは、大都会の生活難の壓迫に堪え切れなくなったからである。東京で彼が最後に勤めて居た所は、麹町区のF小学校であった…

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