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俳句の初歩
はいくのしょほ
作品ID57351
著者正岡 子規
文字遣い新字旧仮名
底本 「俳諧大要」 岩波文庫、岩波書店
1955(昭和30)年5月5日
初出「ほとゝぎす 第二巻第五号」1899(明治32)年2月
入力者酒井和郎
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-10-14 / 2016-09-25
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

客あり。草蘆を敲いて俳句を談ず。その標準は誤り、その嗜好は俗に、称揚する所の句と指斥する所の句と多くは彼此顛倒せり。予曰く、子の言ふ所、悉く予の感ずる所と相反す。予を以て見れば子の言甚だ幼稚なり。もし子もまた予を以て俳句を解せざる者となさば予はことさらに是非を争はざるべし。しかれども子が言を以て予が俳句に入らんとせし十数年前と対照するに、当時の予の意見と符節を合すが如き者あり。あるいは十数年前の予にして子と会談せしならんには、手を拍つて子の説を賛成したらんも、爾後予の嗜好は月々歳々に変じて、今は復当時の余波をだに留めざるに至れり。子が説く所果して正しきか。予が嗜好の変遷はかへつて正路を脱して邪路に陥りたるか。感情に本づく美の正否は、固より理論を以て窮むべきにあらず、経験の多寡を以て判ずべきにあらずといへども、普通の道理より推せば、予が十年の経験と研究とは、予をして全く邪路に陥らしめをはれりとは信ずる能はず。縦し予の嗜好の変遷にして往々邪路に迷ふことありとするも、十年前の嗜好が十年後の嗜好よりも高尚に、俳句界に入りし当時の標準が、幾多の研究を経し今日の標準よりも正確なりとは信ずる能はず。果して予に一日の長あらんか、予は子のために十年前の懺悔談を為して参考に供せんとす。子聴くや否や。
 予の初め俳句に入るや、自ら思ひ立ちて入りしに非ず、人に勧められて入りしに非ず。師に就くに非ず、友と共にするに非ず。たまたま一、二巻の俳書を見る、敢て研究せず、熟読せず、句の解せざる者十中に九、乃ち巻を抛つて他を為す。戯れに一、二の俳句を作る、趣味において得る所あるに非ず、語句において練る所あるに非ず、あるいは縁語、駄洒落に思ひを凝らし、あるいは極めて浅薄陳腐なる意匠を繰り返して独り自ら喜ぶ。それすら一、二句を得れば即ち思想涸渇して復一字を吐く能はず。あるいは奉納の行燈に立ち寄りて俗句に感ぜし事もあり、あるいは月並の巻を見て宗匠輩の選評を信仰せし事もあり。我に句なし、彼の句を妙と称す。自ら標準を立てず、他の標準を正しと為す。俳句に心ざす所あらざりしとはいへ、実におろかにあさはかなる少年にてありき。
 嘘から出た誠とやら、かかる戯れに一時の興を取りし予は、或る時一の俳書を見てふと面白しと思ひぬ。中には身に入みて感ずる句さへありしかば、ただその句、その書を面白しと思ふのみならず、俳句といふ者を面白しとまで思ひなりぬ。これ予の俳句に入る第一歩にして、しかもこの時の予はいまだ俳句の趣味の大体をも解せず、俳句固有の句法をも解せず、僅に俳句の一小部分を解したるのみ。一小部分とは何ぞ。即ち予がここに述べんとする所なり。
 当時予が好みし所の句につき、これを数箇条に分ちて左に説明すべし。
(一) 理窟を含みたる句 理窟に美を含まざるは論を待たず。もし理窟に美ありといふ人あらば、その人は必ず美を解せ…

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