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可愛い山
かわいいやま
作品ID57354
著者石川 欣一
文字遣い新字新仮名
底本 「可愛い山」 白水社
1987(昭和62)年6月15日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2016-03-17 / 2016-02-19
長さの目安約 201 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

山へ入る日・山を出る日



 山へ入る日の朝は、あわただしいものである。
 いくら前から準備していても、前の晩にルックサックを詰めて置いても、いざ出発となると、きっと何か忘れ物があったのに気がつく。忘れ物ではなくとも、数の足りぬ物があるような気がしたりする。すっかり足ごしらえをした案内や人夫が、自転車で走り廻る有様はちょっと面白い。
 それもまア、どうにかこうにか片づいて、いよいよ歩き出す。たいていの場合、町なり村なりを離れると、林の中か野原を横切って行くのだが、二、三時間も歩くと、くたびれて了う。一つには身体の鍛練が出来ていないからで、二つには暑いからである。草のいきれ程うれしからぬ物はない。
 時々馬にあう。林の中の路を、荷をつけた馬だけがポカポカやって来るので、驚いていると、大分あとから呑気そうな顔をして、樵夫が来たりする。一本路だし、馴れてはいるし、すてといても馬は家へ帰るのであろう。路はだんだん狭くなる。馬の糞も落ちていないようになる。と、思いがけぬところに林を開いて桑が植えてあったりする。落葉松、白樺等の若葉が美しく、小さな流れの水を飲んでは木陰に休む。野いちごの実を見つけて食うこともある。
 昼の弁当をつかう頃には、水もつめたくなっている。
 かくて一歩一歩、山へ入って行くのだが、比較的路が容易なので連れがあれば話をするし、無ければ何か考えながら行く。連れがあっても、そう立て続けにしゃべるわけには行かない。時々は考えこんで了う。
 私は大して臆病ではないつもりだが、山へ入る前には不思議に山のアクシデントを考える。何か悪いことが起りそうな気がしてならぬのである。そんな気持ちを持っていられる間は山もたのしみだろうと、ある友人がいったが、まったくそうかも知れない。一種のアドベンチュアをやっている気なのだから……。従って山へ入る日の私は、決して陽気ではない。むしろ憂鬱な位である。そして最初の夜は、殊にそれが野営であれば、とても淋しく、パイプをくわえたまま吸いもしないで、ボンヤリ焚火の火を見つめては、子供のことを考えたりする。
 山を出る日は、恐ろしく景気がいい、天幕をたたむにしても、山小舎の中を片づけるにしても、非常に迅速に仕事がはかどる。平素無口な案内者までが冗談口をたたいたりする。
 もちろん山によって違うであろうが、たいていの路は尾根を走らず谷によっている。で、山を出るにしても、先ず谷へ下るのであるが、これが川の生長に伴うのだから面白い。朝、雪解の水が点々と滴り落ちているあたりを立って、昼には広い河原で最後の弁当を食い、夜は大河の畔の宿屋で寝ていたりすることがよくある。
 山へ入る時憂鬱な私は、出る時は、多くの場合陽気である。もちろん山に別れる悲哀はあるが、これはむしろ翌日汽車の窓から振りかえる時に多く感じるので、現に山を下りつつある時には、ひ…

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