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「俳諧大要」解説
「はいかいたいよう」かいせつ
作品ID57360
著者柴田 宵曲
文字遣い新字新仮名
底本 「俳諧大要」 岩波文庫、岩波書店
1955(昭和30)年5月5日
初出「俳諧大要」岩波文庫、岩波書店、1955(昭和30)年5月5日第1刷
入力者酒井和郎
校正者鴨川佳一郎
公開 / 更新2019-08-23 / 2019-08-01
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治二十五年六月以来、新聞『日本』に掲げられた「獺祭書屋俳話」が、翌二十六年五月に至り「日本叢書」の一として日本新聞社から刊行された。これが子規居士の著書の世に現れた最初である。明治俳句の進歩の迹をたずねる者は、この一篇を振出しとする居士の俳論俳話を切離して考えるわけにいかない。従ってその分量も甚だ多く、『子規全集』〔改造社版〕の二巻を占めているが、ここには「俳諧大要」以後のものについて、長短五篇を収め得たに過ぎぬ。
「俳諧大要」は明治二十八年中の『日本』に発表されたものである。はじめは「養痾雑記」の一部として執筆されたのであったが、やがて「養痾雑記」の題を廃して独立の読物となり、十月より十二月一杯にわたって漸く完了した。明治三十二年一月「俳諧叢書」をほとゝぎす発行所より刊行するに当り、第一編に「俳諧大要」を取入れた。俳句に対し総括的な定義を下すと共に、修学第一期、第二期、第三期の順を追うて種々の方面よりその特質を説いたもので、菊判半截一八八ページの小冊子を以てほぼ意を尽している。居士の俳論俳話のうち、最も広範囲に亙り、首尾一貫したものとしては先ずこれを挙ぐべきであろう。但しこの前半は松山滞留中に稿を起したので、座右に参考書の類を欠き、記憶によって筆を執ったため、時に多少不備な点のあることは居士自身も認めている。修学第一期の終り(本書四三ページ)に「静かさは栗の葉沈む清水かな」の句を尚白の作としているが如きも、記憶によって生じた誤りの一である。これは「随問随答」の中で人に答えている通り、『猿蓑』にある「柳陰」の作でなければならぬ。
「俳人蕪村」もまた『日本』紙上に連載された。「明治二十九年草稿」と記されているけれども、活字になったのは三十年四月以降であった。しかもこの稿を掲げはじめてより間もなく、居士の病状に異変があり、しばしば筆を抛たざるを得なかったので、全部を掲了するのに十一月までかかっている。前後十七回。この内容に訂正を加え、三十二年十二月「俳諧叢書」第二編として刊行を見たのが現在の「俳人蕪村」である。俳諧史上における蕪村の位置はこの書によって定まった。明治の俳句に蕪村の影響が多いことは、居士自身「蕪村調成功の時期」というような言葉を用いているのでも明らかであるが、それはまた居士以前の俳句と立場を異にする所以でもあった。即ち蕪村によって居士の俳句観を窺うことは、単に天明期の一俳人を伝うるに止まらず、明治俳句を知る上の重大な関鍵になるのである。
 明治三十一年十月、雑誌『ホトトギス』が松山から東京に遷るに及んで、俳句関係の居士の文章は、ほとんどこの誌上に集中される形になった。第一に現れたのが「古池の句の弁」で、十月、十一月(第二巻第一号、第二号)の両度に発表された。古池の句に対する居士の見解は早く「芭蕉雑談」(明治二十六年)の中に示されているが、「古池…

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