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俳人蕪村
はいじんぶそん
作品ID57362
著者正岡 子規
文字遣い新字旧仮名
底本 「俳諧大要」 岩波文庫、岩波書店
1955(昭和30)年5月5日
初出「日本」1897(明治30)年4月13日~11月29日
入力者酒井和郎
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-12-25 / 2016-09-25
長さの目安約 55 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

緒言

 芭蕉新に俳句界を開きしよりここに二百年、その間出づる所の俳人少からず。あるいは芭蕉を祖述し、あるいは檀林を主張し、あるいは別に門戸を開く。しかれどもその芭蕉を尊崇するに至りては衆口一斉に出づるが如く、檀林等流派を異にする者もなほ芭蕉を排斥せず、かへつて芭蕉の句を取りて自家俳句集中に加ふるを見る。是においてか芭蕉は無比無類の俳人として認められ、復一人のこれに匹敵する者あるを見ざるの有様なりき。芭蕉は実に敵手なきか。曰く、否。
 芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべき者たること論を俟たず。この点において何人か能くこれに凌駕せん。芭蕉の俳句は変化多き処において、雄渾なる処において、高雅なる処において、俳句界中第一流の人たるを得。この俳句はその創業の功より得たる名誉を加へて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。誦するにも堪へぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称へこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉といふ名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾珠を成し句々吟誦するに堪へながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊ばず、百年間空しく瓦礫と共に埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村とす。蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、あるいはこれに凌駕する処ありて、かへつて名誉を得ざりしものは主としてその句の平民的ならざりしと、蕪村以後の俳人の尽く無学無識なるとに因れり。著作の価値に対する相当の報酬なきは蕪村のために悲むべきに似たりといへども、無学無識の徒に知られざりしはむしろ蕪村の喜びし所なるべきか。その放縦不覊世俗の外に卓立せしところを見るに、蕪村また性行において尊尚すべきものあり。しかして世はこれを容れざるなり。
 蕪村の名は一般に知られざりしに非ず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村に非ず、画家としての蕪村なり。蕪村没後に出版せられたる書を見るに、蕪村画名の生前において世に伝はらざりしは俳名の高かりしがために圧せられたるならんと言へり。これによれば彼が生存せし間は俳名の画名を圧したらんかとも思はるれど、その没後今日に至るまでは画名かへつて俳名を圧したること疑ふべからざる事実なり。余らの俳句を学ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見てややその非凡なるを認めこれを尊敬すること深し。ある時小集の席上にて鳴雪氏いふ、蕪村集を得来りし者には賞を与へんと。これ固と一場の戯言なりとはいへども、この戯言はこれを欲するの念切なるより出でし者にして、その裏面には強ちに戯言ならざる者ありき。果してこの戯言は同氏をして『蕪村句集』を得せしめ、余らまたこれを借り覧て大に発明する所ありたり。死馬の骨を五百金に買ひたる喩も思ひ出されてをかしかりき。これ実に数年前(明治二十六年か)の事なり。しかしてこの談一たび…

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