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古池の句の弁
ふるいけのくのべん
作品ID57363
著者正岡 子規
文字遣い新字旧仮名
底本 「俳諧大要」 岩波文庫、岩波書店
1955(昭和30)年5月5日
初出「ほとゝぎす 第二巻第一号、第二号」1898(明治31)年10月、11月
入力者酒井和郎
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-09-19 / 2016-09-22
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 客あり。我草廬を敲きて俳諧を談ず。問ふて曰く。

古池や蛙飛びこむ水の音    芭蕉

の一句は古今の傑作として人口に膾炙する所、馬丁走卒もなほかつこれを知る。しかもその意義を問へば一人のこれを説明する者あるなし。今これが説明を聴くを得んか。
 答へて曰く、古池の句の意義は一句の表面に現れたるだけの意義にして、復他に意義なる者なし。しかるに俗宗匠輩がこの句に深遠なる意義あるが如く言ひ做し、かつその深遠なる意義は到底普通俗人の解する能はざるが如く言ひ做して、かつてこれが説明を与へざる所以の者は、一は自家の本尊を奥ゆかしがらせて俗人を瞞著せんとするに外ならざれども、一は彼がこの句の歴史的関係を知らざるに因らずんばあらず。古池の句が人口に膾炙するに至りしは、芭蕉自らこの句を以て自家の新調に属する劈頭第一の作となし、従ふてこの句を以て俳句変遷の第一期を劃する境界線となしたるがために、後人相和してまたこれを口にしたりと見ゆ。しかるに物換り時移るに従ひ、この記念的俳句はその記念の意味を忘られて、かへつて芭蕉集中第一の佳句と誤解せらるるに至り、終に臆説百出、奇々怪々の附会を為して俗人を惑はすの結果を生じたり。さればこの句の真価を知らんと欲せば、この句以前の俳諧史を知るに如かず、意義においては古池に蛙の飛び込む音を聞きたりといふ外、一毫も加ふべきものあらず、もし一毫だもこれに加へなば、そは古池の句の真相に非るなり。明々白地、隠さず掩はず、一点の工夫を用ゐず、一字の曲折を成さざる処、この句の特色なり。豈他あらんや。
 客僅に頷く、いまだ全く解せざるものの如し。更に語を転じて曰く、我今子のために古池の句の歴史的関係を説くべし。子かつ子の胸中より一切記憶に存する所の俳句を取り去り、虚心虚懐以て我言を聴け。古池の句もこれを忘るべし。その外の俳句、芭蕉たると蕪村たるとに論なく、古句たると新句たるとを問はず、他人の作と自己の作と併せて尽くこれを忘れざるべからず。世人皆俳句の発達せる今日の心を以て古池の句を観る、故に惑を生ず。子今俳句いまだ発達せざる古に身を置きて我言を聴かば、必ずや疑を解くことを得ん。客曰く、唯々。
 曰く、俳諧の歴史を説くは今我志す所に非ず。しかれども歴史を説かざれば古池の句を解すること能はず。故に古池の句を解するに必要なりと思惟する程度において古俳諧史を説かんとす。古俳諧史の無味乾燥にして、蝋を噛むが如きは徒らに子の欠伸を催すに過ぎざるべきも、その欠伸を催さしむる処、便ちこれ古池の句を牽き出だす所以ならずんばあらず、子姑くこれを黙聴せよ。
 俳諧史を説かんとするには先づ連歌を説かざるべからず。連歌は十七字句と十四字句とを相互関聯して百韻を以て終るを普通とする者、その間には月花の定座、打越、去嫌等の規定ありて、代々の連歌師皆力をここに用ゐたりといへども、我説かんとす…

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