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雪の町
ゆきのまち |
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作品ID | 57369 |
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著者 | 林 芙美子 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「林芙美子全集 第六巻」 文泉堂出版 1977(昭和52)年4月20日 |
入力者 | しんじ |
校正者 | 阿部哲也 |
公開 / 更新 | 2017-02-10 / 2017-01-20 |
長さの目安 | 約 23 ページ(500字/頁で計算) |
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一
神聖だと云ふ事はいつたい何だらう? 彼女は、いつも、そんな場所に到ると、ふふんと、心の中で苦笑してゐた。金使ひが澁い癖に、藝者に對しては、まるで、犬猫同然にしか考へてゐない町長が、公のもよほしごとがあると、木石のやうな固さによそほうて、その式に參列し、きまつて、一場の訓辭をたれる。式が始まる前には、東方を向いて宮城禮拜があり、英靈に對して默祷がある。きまりきつた一つの型が、大眞面目で演じられる。誰一人として不思議がるものはない。美津江は、そんな場合に、立たされた時、きまつて、吐氣の來るやうな、憤りを感じないではゐられなかつた。
神聖とは殘忍なものだと思つた。
戰爭も神聖だと云はれてゐた。だけど、こんなに毎日が追ひたてられるやうな生活でゐて何が神聖なのだらうと、彼女は不思議で仕方がない。若い妻は、戰野に良人を送り、その良人の戰死を知つても、毎日の新聞は、涙一滴こぼさないこの勇婦たちをたゝへてゐる。
神聖な未亡人になつた以上、涙なぞ流しては人にわらはれるのである。戰爭は常に、神聖を強要した。
美津江はS町の藝者で、小さい時からの習慣でこの神聖と云ふ僞物を怖れてはゐなかつたけれども、その殘忍な效果には怖れをなしてゐた。一人の暖衣飽食も許さずと云ふおふれの建前から、藝者にも一課を與へようと云ふ論が起つて、美津江は五六人の同輩といつしよに、町の工場に通ひ、アルミ板の銹落しの女工になつて、神聖なる一課を受け持つたのであつた。針鼠のやうな、金屬性のブラシで、アルミニュウム板の銹を、一日ぢゆう、きいきいと音を立ててこする仕事だつた。同じ工場では、澤山の女學生も働いてゐた。みな、眞面目に働いてゐた。根つからの工員達がなまけてゐても、女學生だけは休みもしないでせつせと、工場の中をつばめのやうに行交うて働いてゐた。
女學生は、最も神聖さを好む人間だと、美津江は哀れみの思ひを持つて眺める場合がある。ねえ、めつたな口車には乘らないでね。必勝の信念で働けとか、戰場の勇士に負けぬやうにとか、全員火の玉とか、いくら、工場内にポスターを張りつけたつて、指令を出す上の役員が、夜は宴會つゞきで、あさましく、鯨飮馬食して涼しい顏をしてゐるのよ……
何も知らない、純眞な學生こそ氣の毒なものだと、美津江は、制服姿で働いてゐる女學生を呆んやりと眺める時があつた。
「この戰爭で、いまのところ、神聖な人間つて云ふのは、兵隊さんと、女學生きりだわ。ねえ、まアさん、さう思はない? 神聖なものはみじめよ。第一、馬鹿正直で、馬車馬みたいに走らされて、乘つかつてる人間は汗もかゝないつてことなのね……」
夜の座敷で、美津江は醉つて來ると、助役の眞木の膝をつゝいてはからみ始める。
「うん、美津も、醉つて、そんな理窟をこねなければ、俺の妾にしてやつてもいゝンだが、何しろ、お前は勝氣で困るんだよ」
湖…