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泉先生と私
いずみせんせいとわたし
作品ID57370
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「谷崎潤一郎全集 第十九巻」 中央公論新社
2015(平成27)年6月10日
初出「文藝春秋 第十七巻第十九号」1939(昭和14)年10月1日
入力者砂場清隆
校正者きゅうり
公開 / 更新2018-09-07 / 2018-08-28
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

私事にわたることを云ふのは寔に恐縮であるが、泉先生は文壇に於ける大先輩であるのみならず、此の春私の娘が結婚するときに媒酌の労を取つて下すつたので、さう云ふ私交上でも一方ならぬ御厄介になつた。式の当日、先生が奥さんとお二人で並んで椅子に腰かけてをられた紋服のお姿が、今の私には最も感銘の深い、忘れられない面影として記憶されてゐる。
聞けば先生は、あのお年だつたけれども、仲人をなさるのはあの時が初めてだつたさうで、前からたいそう楽しみにしてをられたとか。お願ひする方では、ほんの形式に、お名前だけを拝借するくらゐなつもりであつたが、御本人の意気ごみはなか/\さうでなく、結納の取り交しから式の当日まで、ずゐぶん世話を焼いて下すつたし、娘のことも親身になつて案じて下すつた。久保田万太郎君の話だと、先生としても奥さんとお揃ひであゝ云ふ席へ出られたことは、先生一代のうちであの時が最初の最後であつたらうと云ふ。あの時、来賓総代として両家の万歳を唱へて下すつた戸川秋骨先生が、あれから間もなく逝去されたかと思ふと、今また先生の訃音に接するとは、まことに人事[#挿絵]忙の感が深い。
私が始めて先生にお目にかゝつたのは、たしか明治四十四年の正月、読売新聞の主催で、紅葉館に都下藝術家の新年宴会があつた、その席上に於いてであつたが、さいはひ私は当時のことを、「青春物語」の中に書いてゐるので、今その一節を引用して見よう。―――
招待を受けたのは、都下の美術家、評論家、小説家等で、大家と新進とを概ね網羅し、非常に広い範囲に亙つてゐた。「新思潮」からは、私一人であつたか、外にも誰か行つたか、記憶がない。私は瀧田樗陰君が誘ひに来てくれる約束だつたので、氏の来訪を待つて、一緒に出掛けた。……………「パンの会」の時は何と云つても傾向を同じうする若い作家ばかりであつたから、会ふのは始めてゞも互に気心が分つてゐたが、今日の出席者はあの時より更に多人数である上に、古いところでは硯友社系の諸豪を筆頭に、三田系、早稲田系、赤門系、それに女流作家も参加し、その外文展系院展系の画伯連、政論家、文藝批評家等、紛然雑然としてゐるので、何処に誰がゐるのやら見当もつかない。……………一人に紹介されると直ぐその人から次へ紹介されながら、段々ノサバリ出して行つた。横山大観、鏑木清方、長谷川時雨女史………私はさう云ふ人達を知つた。……………私は八方から盃を貰ひ、いろ/\の人から讃辞や激励の言葉を浴びせられ、次第に有頂天になつて、瀧田君を促しつゝ徳田秋声氏の前へ挨拶に行つた。と、秋声氏は、其処へ蹣跚と通りかゝつた痩せぎすの和服の酔客を呼び止めて、「泉君、泉君、いゝ人を紹介してやらう―――これが谷崎君だよ」と云はれると、我が泉氏ははつと云つてピタリと臀餅を舂くやうにすわつた。私は、自分の書くものを泉氏が読んでゐて下さるかどうかと云…

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