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「細雪」回顧
ささめゆきかいこ |
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作品ID | 57371 |
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著者 | 谷崎 潤一郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「谷崎潤一郎全集 第二十巻」 中央公論新社 2015(平成27)年7月10日 |
初出 | 「作品 第二號」創藝社、1948(昭和23)年11月15日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | きゅうり |
公開 / 更新 | 2018-07-30 / 2018-08-05 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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私が「細雪」の稿を起したのは太平洋戦争が勃発した翌年、即ち昭和十七年のことである。
これがはじめて中央公論に出たのは昭和十八年の新年号であつたが、それから四月号に載り、次いで七月号に掲載される筈の所がゲラ刷になつたまゝ遂に日の目を見るに至らなかつた。陸軍省報道部将校の忌諱に触れたためであつて、「時局にそはぬ」といふのが、その理由であつた。当時すでに太平洋の戦局は我に不利なる徴候を見せ、軍当局はその焦慮を露骨に国内の統制に向けはじめてゐたことであるから、全く予期されぬことではなかつたが、折角意気込んではじめた仕事の発表の見込が立たなくなつたことは打撃であつた。いや、ことは単に発表の見込が立たなくなつたと云ふにつきるものではない。文筆家の自由な創作活動が或る権威によつて強制的に封ぜられ、これに対して一言半句の抗議が出来ないばかりか、これを是認はしないまでも、深くあやしみもしないと云ふ一般の風潮が強く私を圧迫した。江戸時代の作者たちが時の要路の役人の忌避に遭つて手錠五十日とか禁錮百日とか云ふやうな刑を加へられたことはかねて聞き及んでゐたが、私は手錠も禁錮も科せられたわけではなかつたけれども、昔の作者たちの鬱屈は人ごとならず察せられたことであつた。但しその時の当局の話では活字にして売り広めなければよいといふことであつたので、滞りがちの稿をついでどうやら上巻に予定した枚数に達したのを機会に、知己朋友に頒つことを目的とした私家版「細雪」を上木したところ、これがまた取締当局を刺戟し、兵庫県庁の刑事と云ふものゝ来訪を受けたことがあつた。その時私は折よく熱海に行つて留守であつたので、家人が応対したところ、今度だけは見逃すが今後の分を出版するやうなことがあつたらどうとかすると云つて脅かしたと云ふ。さうして始末書の提供を要求したので、旅行中不在の由を告げると、それなら熱海へ出張すると云つて帰つて行つたと云ふことであつた。そこで熱海の警察から呼出しが来るかと思つてゐたが、とう/\そのやうなこともなくて済んだ。その頃戦勢はます/\我に不利で、警察署でも人手の不足に苦しんでゐた時であるから、よほどの大事件でもないかぎり、そのやうな手数をかけることもなかつたのであらう。従つてその方の関係で当局と交渉を持つたのはそれ限りで、自分では一度も厭な応対一つするでなし、始末書一本書くこともなくて済んだのは幸運であつた。
かう云ふ謂はゞ弾圧の中を、兎に角ほそ/″\と「細雪」一巻を書きつゞけた次第であつたが、さう云つても私は、あの吹き捲くる嵐のやうな時勢に全く超然として自由に自己の天地に遊べたわけではない。そこにそこばくの掣肘や影響を受けることはやはり免かれることが出来なかつた。たとへば、関西の上流中流の人々の生活の実相をそのまゝに写さうと思へば、時として「不倫」や「不道徳」な面にも亙らぬわけに行かな…