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ボルネオ ダイヤ
ボルネオ ダイヤ |
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作品ID | 57375 |
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著者 | 林 芙美子 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「林芙美子全集 第六巻」 文泉堂出版 1977(昭和52)年4月20日 |
入力者 | しんじ |
校正者 | 阿部哲也 |
公開 / 更新 | 2017-02-10 / 2017-01-12 |
長さの目安 | 約 25 ページ(500字/頁で計算) |
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暗い水のほとりで蝋燭の燈が光つてゐる。ほんのさつき、最後の夕映が、遠く刷き消されていつたとおもふと、水の上を一日ぢゆう漂うてゐた布袋草も靜かに何處かの水邊で、今夜の宿りに停つてしまふに違ひない……。漕ぎ出てゐる小舟の楫の音がいやにはつきりと聞える靜けさだ。ぴちやぴちやと水の音は聞いてゐる者のこゝろの芯にまで吸ひこまれるやうに、たまらない人戀しさと、淋しさを誘つて來る。時々、家のまはりの唸り木がざわざわとゆれてゐた。――球江は裸で白い蚊帳のなかに腹這つてゐた。長い枕のやうなダッチワイフに兩足をのせて、まるで蛙を引き伸ばしたやうなかつかうでジャワ人の女按摩に躯を揉んでもらつてゐた。女按摩は球江の躯ぢゆうに椰子油をぬるぬると塗りたくりながら、固い掌でゆるくのの字を書くやうなしぐさで、油で濡れてゐる背中を揉んでゐる。大判のタオルに顏を押しつけて、球江は手離した子供のことを考へてゐた。隨分遠いところへ來てしまつたものだと思つてゐる。もうこのまゝ内地へは復れないやうな氣さへしてくる。どんよりと重苦しいほど暑くて、それに、やかましく食用蛙が啼きたててゐるせゐか、考へることは少しもまとまつて瞼に浮きあがつてはこない。廣島の港を離れるときは雨が降つてゐたかしら……。四ヶ月前の、けなげな自分の旅のすがたがいまでは人のことのやうに思ひ出されるだけだつた。バリトの廣い河口へ船がはいつて來たのは夕方だつたかしら……。マングロープの茂つた土手沿ひに、赤く濁つた水の上を船はゆるく滑つてゐた。うつゝからうつゝへ、季節のまるでない妙な季節が、他愛もなく球江の思ひ出のなかに、獨樂のやうに毎日同じところをぐるぐるとまはつてゐるのだ。内地を發つてからまる四ヶ月は過ぎてしまつた。この南ボルネオのバンヂャルマシンといふ處へ來て、休みなく毎日毎日夕方には雨が降つた。それがまるで細引のやうな太い雨で、暑い處なので、雨は湯煙をたててゐるやうな激しさで四圍が乳色に染つてくる。このやうな處へ働きに來る女たちといふものは、内地で散々苦勞をした擧句の果てに來たと思はれるやうな者が多かつたけれども、球江だけは、もののはずみで、人に誘はれて、こんなところへ來てしまつたといつた風な女であつた。球江は髮結ひの娘であつた。兄は中國と戰爭が始まると同時に出征して、ウースン上陸で戰死してしまひ、次の兄は戰爭を怖ろしがつて、自分から進んで軍需會社へ勤め口をみつけて水戸の工場へ行つてしまつた。球江はそのころ女學生であつたけれども、これも學業はそつちのけで、毎日全生徒が學校から工場通ひをしなければならなくなつてくると、球江はつくづくそんな生活が厭になつてきて、あと一年で卒業だといふ時に、母親には默つて學校をやめてしまふと、上野驛の食堂へ給仕女の職をみつけた。こゝでコックのやうなことをしてゐた松谷と知りあひ、上野驛近くの宿屋で時時あひ…