えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
![]() よこはまおよびいじんかんじょうちょう |
|
作品ID | 57378 |
---|---|
著者 | 木下 杢太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本随筆紀行第八巻 横浜 かもめが翔んだ」 作品社 1986(昭和61)年4月25日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | 円野 |
公開 / 更新 | 2024-08-01 / 2024-07-31 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
題はかう定めたが、今朝は僕の情調が統一して居ないから何になるか分らない。頭の明な覚の後ろに押しかけて居るいろいろの象を抽出して見よう。
昨夜は一晩かかつて「異人館遠望の曲」といふのを書かうと思つた。いろいろ苦心したが到頭思ふやうに行かなくつて大へん腹立たしかつた。
その時自分の心持を集中させようと思つて明治十年頃の異人館の三枚続きの錦絵を壁にかけて置いたが、それもそのまま魔力なく、今は朝の日に黄ばんで居る。
それでも、今まだ僕の耳の奥の方には、遠い/\潮のやうに懐しく悲しい異人館遠望の歌のメロヂイが鳴つて居る。僕はどうかして、昔揺籃の内で聞いた「野毛の山から」の歌、その節の起した濃い情調を、「記憶」の霧深い月夜から明るい今に出して来たいと思ふ。それは無益であつた。恐らくば僕の企ては音楽を藉りないでは成就しまい。……桜の花の間から赤い煉瓦の異人館が見える。三階の楼には米利堅の号旗が立つて居る。港に面した側には緑色に塗つた軒の露台がある、若い夫婦らしい異人が落日で赤く染まつた水平線のぼんやりした春の日の空を眺めてゐる。腹の所に車の付いた三本檣の乗合蒸気船が黒い煙をあとに残して、やうやう暮れてゆく港の外に向ふ。しばしして微んだ船の檣に黄ろい痛々しい航海燈がつく。
琴、笙、羅面絃、いろいろの音を集めたやうなおるごるの悲しい曲が起る。亜米利加何番の商館の大広間に晩餐会が開かれる。その窓、その軒には美しい日本の紅の提灯が吊られる。若い二人の異人もいひ難く弱く柔かな春の悲哀を抱き乍ら露台を離れる。
いつかもう街には緑金色の燈がついた。紫に青んだ白壁の高塀から、ぱつと熔けた白金のやうな桜の花が燃え出る。
かかる時ゆるやかな角の音が遠くに起る。四輪車が丁度街角を曲つて異人館の下にかかる。女の人達は赤い日傘をつぼめた。南京、輿、人力車、町の娘、洋妾、阿蘭陀ジエネラル……春の夜の市街の雑踏の中で一群の四輪車の人々は夜の旅人の悲しい心持になつて、窓の奥、あやしい楽曲の方を見上げる。……
古い拙い錦絵は兎に角これ丈の情調を包蔵してゐる。同じ事は詩でゆかないだらうか。恐らく僕が詩で失敗したのは、僕の詩的感応の力が弱いのは別として、詩それ自身がそれに不便なものだつたのに相違ない。
始めて吾等は音楽を要求するに至る。
長唄、浄瑠璃、謡……色々なものを少しづつ聞いて見たことがある。然しその形造る情調は一定の範囲を脱しない。其他常盤津、一中、端唄……凡ての之等の江戸的、上方的の徳川音楽は、僕の頭に娘道成寺、順礼、一立斎が江戸百景、長春、歌麿が絵本の趣味、豊国が歌舞伎の絵を思ひ浮ばせる事が出来るが、既にもう、幕末、維新、明治初年の情調とは無関係だ。
僕等の耳に熟せざる西洋音楽に至つては、更に僕等が本然の Sentiment とは没交渉だ。唯時々日比谷あたりで、支那の楽器の調…