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われ等の開港記念会館
われらのかいこうきねんかいかん
作品ID57379
著者山本 和久三
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本随筆紀行第八巻 横浜 かもめが翔んだ」 作品社
1986(昭和61)年4月25日
入力者浦山敦子
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2025-06-02 / 2025-05-30
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 銀座会館はカフエーだつた、湯河原会館は宿屋だつた、さう云ふ時代が来ても、われ等の記念会館は永遠に記念会館である。本町一丁目と云へば横浜の玄関だ。その玄関に建つてゐる開港記念会館の煉瓦造は今でこそ何か知ら田舎くさい色彩を吾等の眼へ投げかけるが、明治四十二年の開港五十年記念に、堂々と竣工した時、市民の総ては自分の家が出来たやうに喜んだものだ。
 子供心に覚えてゐるのは、記念会館の前身の時計台だ。町会所と云ふのが本名だが、僕等は時計台と称してゐた。石造の二階建で、屋上の高塔に大時計が据つけてあつたからだ。明治七年の建築だと云ふから、当時の横浜としては未曾有の大建築であつた。時計台は明治三十九年火災のため焼失した。が時計台の主とも云ふべき有名な鐘は焼けなかつた。此鐘こそは横浜の守護神だ。今も記念会館の塔上に安置されてゐるのは床しい話柄である。
 記念会館は震災で廃墟に帰したが、大修理が加へられて昭和二年今の姿に甦生した。新興横浜の建設の喜びが、甦生記念会館の開館式に含まれてゐたことは勿論である。秩父宮殿下の台臨を仰ぎたる光栄の第一ペーヂがそれだ。
 その後本町通にはいゝ建物が殖えた。しかし時計台以来の由緒を有する点に於て記念会館の右に出づるものは一つもない。ハマの個性が此建物を繞る雰囲気にはつきりと現はれてゐるからである。



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