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本覚寺の山門に立ちて
ほんがくじのさんもんにたちて
作品ID57383
著者山本 和久三
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本随筆紀行第八巻 横浜 かもめが翔んだ」 作品社
1986(昭和61)年4月25日
入力者浦山敦子
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2025-10-05 / 2025-10-04
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 狭い通りであつた。天気が続くと、ぽか/\の砂埃が靴の踵を没すばかりの道だつた。左側には小つぽけな商家や住宅が軒を接してならんでゐた。右側には乱杭式の木柵が不規則に立つてゐた。人力車がやつと擦れ違ふほどの、其狭い道路を肥車の列が朝から晩まで絶えなかつた。六角橋や小机方面から市街への唯一の往還だつたからだ。
 鉄道線路には真黒な煙を吐く蒸汽列車が間断なくゴロ/\ガラ/\走つてゐた。これが大正十二年の震災前までの此辺である。『隔世の感』と云ふ言葉を私は屡次使つたが、復興青木橋旧鉄道橋の袂に立つて、本覚寺のコンクリートの崖を背景として悠揚迫らざる大道を眺める諸君は、私の使ふ幾度目かの此言葉に対して感激の共鳴を吝まぬであらう。
 本覚寺と云へば横浜開港の歴史に因縁の深いことは余りに有名な事実だ。アメリカの大使ハリスが軍艦ミスシツピーで伊豆の下田を引上げて本覚寺へ乗込み、境内にあつた玉楠の天辺に星条旗を掲げたのは西紀千八百五十九年七月四日だつた。神奈川港に外国の旗が翻つた嚆矢である。其当時は寺の下まで東京湾の海波が満々と訪れてゐた。生麦事変の時、難を逃れた一婦人の急報で、茲から在泊の軍艦へ信号で知らせたと云ふ事実もある。
 本覚寺には私の家の近い先祖の骨が埋つてゐる。子供の時から何回となく石段を昇つた。ハリスがペンキ塗りにしたと云ふ『葷酒山門』の黒門の前で、横浜港を眺めるのが好きだつた。ハリスがむかし遠目鏡で眺めたやうに……。



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