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![]() なまむぎじへんのあと |
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作品ID | 57386 |
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著者 | 山本 和久三 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本随筆紀行第八巻 横浜 かもめが翔んだ」 作品社 1986(昭和61)年4月25日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | 栗田美恵子 |
公開 / 更新 | 2025-08-21 / 2025-08-20 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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文久二年八月二十一日、島津の行列が生麦の松原に差かかつた時、突如行列の先頭を切つた騎馬の英国人があつた。二人は男、一人は女であつた。血気にはやる九州武士は矢庭に一名を其場に斬り伏せた。二人は辛くも虎口を遁れて青木台本覚寺なる米国領事館に急を告げた。英船と島津の藩が戦争までやつた有名な生麦事変だ。
其時斬られて即死したリチヤードソンの終焉の地点に彼の冥福を祈る記念碑が建つてゐる。生麦市電終点にあるのがそれだ。鶴見の人黒川荘三の建立、敬宇中村正直の撰文、明治十六年十二月とある。
市電終点からガソリンスタンドの三角点を右へ折れると旧道である。草葺屋根の家が点々として残つてゐる。当年を偲ぶ松の色にも旧道らしい香ばしさがある。昭和三年の秋、横浜市電気局は、線路を敷設するため松を二本榎を一本伐り倒した。古木の祟りと云ふ現代科学で説明の出来ぬ椿事が出来したのは尚ほ記憶に新ただ。関係者が病気になる、怪我をする。理論万能の技術家も流石に怖毛をふるつた。厄除けをやると云ふ始末であつた。笑へぬ話だ。
さう云ふ不思議な事を考へながら此辺を歩くと、むかしながらの古びた匂ひがする。平らなアスフアルトの道路を目まぐるしく自動車が走り電車が走つても、そのやうな思念を胸に抱いて歩く者の感触には過度時代に起つた色々の事件から離れることは出来ない。それが当然であらう。