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瀬戸内海の浪の音
せとないかいのなみのおと |
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作品ID | 57388 |
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著者 | 鈴木 三重吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本随筆紀行第二〇巻 岡山|広島|山口 暮れなずむ瀬戸は夕凪」 作品社 1988(昭和63)年12月10日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2024-06-27 / 2024-06-24 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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私は瀬戸内海に臨んだ広島市猿楽町に生れた。丁度練兵場の入口になつてゐる町なのであるが、其所は兵隊の入る小さな飲食店、酒屋、餅屋、饅頭屋、それから兵隊の帽子や軍用雑貨を売る小さな店、さういふ店の前へ以て来て、幾通りとなく靴直しの群が列んで靴直しをやつてゐるやうな所である。
私の家は昔からさういつたなかにあつた。母は私の八つの時死んだ。それが長病ひをした後であつたので、家産も次第に傾いて来るといふ始末で、遂には自分の住つてゐた母屋の方を貸家にしてしまつて、家の者は裏の離れみたいな所に移つた。家の者といつても、私とそれから小さな弟、目の見えない祖母と、父と、女中とである。私は十九で中学を卒業したが、それまで其家で育つた。少年時代の私は人なみ勝れて悪戯者だつた。何でも十三四歳の時だつたと思ふ。何か気に入らぬことがあつて私は部下の子供をぽか/\と殴つた。すると一人の兵隊が来て私を足腰の立たぬほど殴り返した。で、それからといふものそのかたき打ちがしたさに私は将来陸軍の士官にならうと思ひつめた。そして中学の一年頃まではその積りであつたが、其後父が電灯会社に入つて支配人をしてゐた関係からして、今度は電気の工学士にならうといふ考を起した。併しどういふものか私は其頃から文学が好きだつた。といふのは私の家が代々俳句をやつて、以前多少金のあつた時代にさういふ文人を保護したやうなことがあつたので色々な文学書も沢山あり、筆写本や何かを能く蔵の中へ入つて読んだものだ。
さうしてゐる中に今度私は文学者になりたいやうな気になつた。その癖自分には別にさういつた素質があるといふ自信があつた訳でもないが、とゞのつまりは高等学校から大学の文科へ入つて、今日では小説を書く者となつてしまつた。といつても時が唯偶然に斯く推移させてゐるだけで、私としては何も周囲から感化を受けたやうな所はない。
殊にごた/\した汚い町中に育つて来ただけに、文学的の感化といふものは、広島市に於ては殆どなく、先輩といつては、登張竹風氏が唯独り文壇にゐた位である。其後今に至るまで他に文学者は出てゐないので、郷土の先輩から刺戟されたやうなこともない。同じ地方でも岡山などゝ違つて広島には文学的な空気といふものは殆どなく、唯若し私の作品の中に或明るい、柔い、南国的の気分があるとしたら、それは私が瀬戸内海の岸に生れたり、それから大学時代によく休学して瀬戸内海の島に暮してゐたりしたその間に得た感じが自然に出て来るのだらうと思ふ。併し私が多く海岸とか海とかいふものに感じて書いたものは、寧ろ長崎の漁村で得た記憶に依る記述が多い。
私の一つの特長としては他の人よりも比較的多く気候の推移に伴ふ小さな自然の現象を記述したものゝ多く出てゐることである。併しこれは別に私の風土が与へたものでもなく、私が俳句に興味をもつてからさういふ感情が自然に出…