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「君死にたまふことなかれ」
「きみしにたもうことなかれ」 |
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作品ID | 57389 |
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著者 | 武田 麟太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本随筆紀行第一七巻 大阪|和歌山 声はずむ水の都」 作品社 1987(昭和62)年1月10日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2024-05-29 / 2024-05-27 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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明治三十七年九月号の「明星」と云ふ雑誌に有名な詩「君死にたまふことなかれ」が載つた。その第三聯に
堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ。
――とある。そんなことには迂遠な僕が詩なんぞを引用すると、人は実に滑稽に思ふかも知れぬが、堺市大小路と宿院との間に、古びた構へで、昔風にこじんまりした老舗の菓子屋の前を通る時、必ずこの詩を思ひ浮べるのである。それは駿河屋と云ふ屋号が暖簾に見られ、姓を鳳と名のつて、名物の芥子餅や長崎カステイラなぞを商つてゐる。当世風なところは微塵もなく、いつも西日がその閉め切つた硝子戸にあたつてゐるやうな寂しさを感じさせ、閑散としてゐて客人の姿も見たことはない。「旧家をほこり」年老いた人のやうに静かに坐つてゐる。――云ふまでもなく、この詩の作者、与謝野晶子氏の生家なのである。
大和川と云ふ川――雨が降ると濁つた水が烈しい勢ひで流れ、晴れた日には急に干あがつて了つて、白い洲が川幅を極度にちぢめ、砂採取人や戯れる子供たちの足跡がいつまでも消えずに一すぢに印されてゐる――その川が大阪市と堺市との境界である。だから、近代資本主義都市として頂上にまで発達しつくした都会の隣りに、川一つ越すと、徳川時代そのままの堺の町があるのに、大抵の人は驚くのである。古い開港場。低い、だががつしりとした材木と壁とで作られた格子のある家並み。酒造りの旧家も多く、稍々妖怪ぢみた大きな酒倉や広場に乾してある酒槽。町を流れる線香のにほひ。柳と木橋。誰も通らぬ寺と寺との間の長い道。くづれた土塀。文明も浅くて、ハイカラな色彩も稀である。――そんな町であるからして、駿河屋のやうな孤影も全体と調和して別に人の眼を惹かないのである。あの詩の中には、また――
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
と云ふ聯がある。その旅順口に出征してゐた晶子氏の弟は、当時二十四歳とするならば、今年は五十三歳の老人になつてゐるはずである。僕は、彼が、与謝野氏の「君死にたまふことなかれ」の嘆きにも係らず「かたみに人の血を流し、獣の道に死」(同詩中より)なれたか、または希望通り、生還されたのか知らぬものである。だが、僕は通りすがりに店をのぞきこみ、そこに坐つてゐる鼠縞の着物きた人がゐると、ああ、あの人が――日露戦争の真唯中に、もとより個人主義的にではあつたが、戦争に反抗を見せた詩の「主人公」であつたのか、と些しばかり懐古的な気持になるのであつた。
僕はまた、彼の配偶者を――恐らく、彼女もまた今日では漸く萎んで来てゐるにちがひないが――探す眼つきをする。彼女は当時、次の如くうたはれてゐた。
暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少…