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生物学的の見方
せいぶつがくてきのみかた
作品ID57421
著者丘 浅次郎
文字遣い新字新仮名
底本 「進化と人生(上)」 講談社学術文庫、講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出東亜協会にて講演、1910(明治43)年11月
入力者矢野重藤
校正者y-star
公開 / 更新2017-08-29 / 2017-07-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 すべて物は見方によって種々異なって見えるもので、同一の物でも見方を変えると、全く別物かと思われるほどに違って見えることもある。たとえばここにある水呑コップのごときも上から見れば丸いが、横から見るとほぼ長方形に見える。日々世の中に起こる事柄も、ある人はこれを道徳の方面から見、ある人はこれを政治の方面から見、ある人は教育の方面より、ある人は衛生の方面よりというように種々の異なった方面から見るが、かくあらゆる方面から見た結果を綜合して始めてその事柄の真相が知れるのである。一方から見るのみで、他のほうから見ることを忘れては決して正しい観念を獲ることはできぬ。これはもとより明らかなことで、従来とても何か事を調べるにあたってはなるべく各方面から見るように注意していたように見受けるが、ここに一つ今日まで全く忘れられ度外視せられていた見方がある。それはすなわち表題に掲げた生物学的の見方であるが、われらの考えによれば、人間社会に起こる百般のできごとを正しく観察するにはぜひともこの見方を加えることが必要で、これを省いてはとうてい皮相的にとどまるをまぬがれぬ。特に人間の行為を研究の対象物とする倫理、教育等のごときいわゆる精神科学においては今後時代の進歩にともなうために大いにこの見方を奨励する必要があろう。
 さて生物学的の見方とはいかなる見方かというに、これは一言でいえば人間を生物の一として見るのである。すなわち人間を他の生物とは全く離れた一種特別のものとせず、単に生物の一種と見なし人間社会の現象をも生物界の現象の一部と見なして観察するのであるが、それにはまずバクテリアのごとき簡単微細な生物から猿、人間のごとき高等なものまでを一ヵ所に集めたと想像し、全部を見渡しながらその一部なる人間を見るというようにせねばならぬ。これを芝居にたとえて見れば、バクテリア、アメーバ等より猿、猩々にいたるまですべての生物を一列に並べて舞台の背景とし、その前へ人間を引き出して浮世の狂言を演ぜしめ、自分は遠く離れて棧敷から見物している気になって、公平に観察するのである。人間界の現象には、かような見方によって初めてその意味を明らかにすることのできる部分がはなはだ多い。
 生物学的の見方とはわれらが新しくつけた名であるが、人間の身体を研究する方面の学科では、この見方はすでに古くから行なわれている。比較解剖学とか比較発生学とか、すべて比較という字を冠らせた学科はみなこの見方によって研究を進めているのである。人間の身体には、単に人間ばかりを研究していたのでは、とうてい意味のわからぬ部分や性質があるが、これを明らかにするにはぜひとも比較研究によらねばならぬ。たとえば成人の頭骨の側面には耳殻を動かすべき筋肉がいくつもあるが、何故かかる不用の筋肉がここにあるかということはその筋肉のみを調べたのではとうていわからぬ。他…

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