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正岡子規君
まさおかしきくん
著者伊藤 左千夫
文字遣い新字新仮名
底本 「正岡子規」 KAWADE道の手帖、河出書房新社
2010(平成22)年10月30日
初出「日本」日本新聞社、1902(明治35)年9月27日、10月3日、10月4日
入力者高瀬竜一
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-10-14 / 2019-09-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#挿絵]
子規画「左千夫像」
(明治33年頃)

 吾が正岡先生は、俳壇の偉人であって、そしてまた歌壇の偉人である。万葉集以降千有余年間に、ただ一人あるところの偉人であるのだ。
 しかるに先生が俳壇の偉人であると云うことは、天下知らざるものなき程でありながら、歌壇の偉人であると云うことを知っているものは、天下幾人も無いと云うに至っては実に遺憾と云わねばならぬ。
 先生の訃音が一度伝われば、東都の新紙は異口同音に哀悼の意を表し、一斉に先生が俳壇における偉業を讃した。これはもとより当然の事であえて間然すべきではないが、ただ一人として先生の歌壇における功績に片言も序し及ばなかったのはいかにも物足らぬ感に堪ぬのである。
 先生の俳句における成功は、始め近親数人に及ぼし遂に天下に広充したので、北は北海道の果てより、南は九州の隅に至るまで、いやしくも文学に志す者で日本派の俳句、子規派の俳句を知らぬ者はないくらいであるから、俳句を知らぬ人でもその実績の上から、先生が俳壇の偉人であると云う事は知れる訳であるが、歌の方であると根岸派の歌と云うても、区域が極めて狭いので、真に歌を解せぬ素人の眼から、その偉大なることの分らぬのも、あながち無理ではない、しかしまた一歩進んで考えてみると、世人が、日本文学の精粋と歌わるる歌に対して解釈力の欠乏せるに驚かざるを得ないのである。たとい自ら作ると云うことは出来なくとも、その議論をみてその製作をみたならば、是非の判断くらいはつきそうなものじゃあるまいか。世上多くの文士が先生の俳人たる価値をのみ解して、歌人たるの価値を少しも解せぬと云うに至っては、吾々は多大なる不平が包みきれぬのである。
 先生の俳句における成功と歌における成功と先生一個身の上よりせば、成功の価値に少しの相違もないのである。一は成功の余沢を広く他に及ぼし、一は未だ広く余沢を及ぼさぬと云うに過ぎぬ、俳句はその流れを酌む人が多いから偉大で歌はその流れを酌む人が少いから注意に価せぬとはあまりに浅薄なる批評眼と云わねばならぬ。
 しからば、正岡が歌壇の偉人であるというはどう云うわけかと云う問が起るであろう。これに対する答は、俳壇の偉人を説明する様に簡単でない。実績に乏しき歌壇の偉人を説明しようには勢い歌そのものに依って判断せねばならぬ。すなわちその作歌及び歌論について価値を定めねばならぬ。しかしながらかくのごときことをなすは今その場合でないと思う。
 先生が歌の研究を始めたのは、たしか明治二十九年の夏からである。年を経る僅かに七年一室に病臥して、自宅十歩の庭でさえ充分には見ることのできぬ身を以て、俳壇を支配するの余力を以て、今日の成功を見たる実に偉と云わねばならぬ。親しく教えを受けて研究に預れるは僅かに七八人に過ぎぬ。しかもこの七八人の根岸派同志が今日の歌壇にいかに重きをなすか、成功…

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