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写生断片
しゃせいだんぺん
作品ID57446
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第五巻」 春陽堂書店
1978(昭和53)年11月30日
初出「茨城縣立下妻中學校雜誌 爲櫻 第三十五號」1909(明治42)年1月25日
入力者岡村和彦
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2016-08-09 / 2016-06-10
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 余は天然を酷愛す。故に余が製作は常に天然と相離るゝこと能はず。此に掲ぐるものは長き文章の一部にして我が郷の田野の寫生なり。一は其冐頭にして二は其結末なり。素より斷片なり、一篇の文章としては見るべからず。余は近時本誌の文章の天然描寫の一段に於て多大の進境を認むると共に喜悦の念禁ぜざるものあり。天然必しも悉く美なるに非ず。然れども他の美ならずとする處のものを以て自らは之を美なりと感ずるに何の妨かあらむ。而して自ら感じたる處を極力文字に現はす時直ちに讀者を醉はしむことを得べし。これ文章の力なり、否感情の尊き所以なり。余が此の寫生の如きは極めて拙なるものなりと雖天然描寫に志す諸君の爲めに多少の參考たるべきを信ず。併せていふ、余は本誌過去一年間の製作品に就いて及び文章に就いて余が考ふる處を述べて次號に發表せんとす。甚だ多忙ならざる限り必ず其約を履むべし。



 小春の日光は岡の畑一杯に射しかけて居る。岡は田と櫟林と鬼怒川の土手とで圍まれて他の一方は村から村へ通ふ街道へおりる。田は岡に添うて狹く連つて居る。田圃を越して竹藪交りの村の林が田に添うて延びて居る。竹藪の間から草家がぼつ/\と隱見する。帚草を中途から伐り離したやうに枝を擴げた欅の木が、そこにもこゝにもすく/\と突つ立つて居る。田にはもう掛稻は稀で稻を掛けた竹の「オダ」がまだ外されずに立つて居る。「オダ」には黄昏に鴫でも來て止る位のこてとだらう[#「こてとだらう」はママ]、見るから淋しげである。鬼怒川の土手には篠が一杯に繁つて居るので近くの水は其蔭に隱れて見えぬ。のぼる白帆の梢に半分だけ見えて然かも大きい。土手の篠を越えて水がしら/\と見えるあたりはもう遙かの上流である。だから篠の梢を離れて高瀬舟の全形が見える頃は白帆は遙かに小さく蹙まつて居る。土手の篠の上には對岸の松林が連つて見える。更に其上には筑波山が一脚を張つて他の一脚を上流まで延ばして聳えて居る。小春の筑波山は常磐木の部分を除いては赭く焦げたやうである。其赭い頂上に點を打つたやうに觀測所の建物がぽつちりと白く見える。稍不透明な空氣は尚針の尖でつゝくやうに其白い一點を際立つて眼に映ぜしめる。櫟の林は此の狹く連つて居る田と鬼怒川との間をつないで横につゞいてをる。田も遙かのさきは櫟林に隱れて鬼怒川も上流はいつか櫟林に見えなくなる。櫟の木はびつしりと赭い葉がくつついてをる。岡の畑は向へいくらか傾斜をなしてをるので中央に立つて見ると櫟の林は半隱れて低い土手のやうに連つて見える。林の上には兩毛の山々が雪を戴いてそれがぼんやりと白い。此の如き周圍を有して岡の畑は朗かに晴れてをるのである。土は乾き切つてをる。既に二三寸に延びた麥は岡一杯に薄く緑青を塗つたやうである。そこにもこゝにも百姓が小さく動いてをる。麥をうなつてをるものもあるが大抵は芋掘の人々である。四五人の…

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