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旅行に就いて
りょこうについて
作品ID57448
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第五巻」 春陽堂書店
1978(昭和53)年11月30日
初出「茨城縣立下妻中學校雜誌 爲櫻 第十七號」1907(明治40)年7月15日
入力者岡村和彦
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2016-07-13 / 2016-06-10
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 余は旅行が好きである、年々一度は長途の旅行をしなければ氣が濟まぬやうになつた。兎に角全國歩いて見たい積りで地圖の上に朱線の殖えるのを樂みの一つにして居る。時には汽車や汽船の便を借りることもあるが、大抵は徒歩である。隨つて身體には苦勞を掛けて、歸りには顏が黒くなつて頬骨が出る。それで苦勞をすればする程、旅行の面白味が増して、話の種が殖えて來る。人に旅中の話をすれば、人も面白いといふ。自分は益々得意になる。偶々旅行して、どれだけ面白味があるのだと反問するものがあるが、旅行をしたことの無い者には、旅行の面白味は分るものではない。枇杷の木に黄色な實が熟したとて、下から見たゞけでは味はわからぬ。一つでもちぎつて見れば、枇杷のうま味は直にわかる。旅行をして見れば、旅行の面白味は直に知れる。素裸になつてただごろ/″\して居る者は、長い暑中休暇を短くして暮すものである。五十餘日を回顧して何物も頭に浮び來るものが無いからである。旅行をすれば、其處に追懷といふものがある。短い時日でも、長くするのは變化と活動とに富める旅行の賜である。特別の事情ある者は格別、然らざるものには、切に休暇中の旅行を勸める。多くの學生の間には、必便宜を有して居ても、躊躇して居るものがあることゝ思ふ。此は余が以前は非常な旅行嫌ひで、僅に一日の遠足でも出ることが稀で、素より修學旅行などに隨伴したことがなく、唯恐れてばかり居つたことに徴して、十分に想像が出來るのである。然し實際旅行をして見ると、案外に人が親切で一向苦にならぬものである。
 余の旅行は極めて簡易な仕方である。最初の用意は旅費で、これが出來ると、豫め歩かうと思ふ方面の地圖を披いて旅費に相應した行程を定める。參謀本部の二十萬分の一の分圖であれば、何處へ泊つて何處へ出るといふことが、大抵は大なる間違なく極めることが出來る。たとへば下妻と下館との間が幾里、下館と結城との間が幾里といふことが分るからである。余は何時でも手帳へ豫じめ宿泊する土地を記入して置く。全くの徒歩ならば一日五六十錢で餘は十分に支へてゆくことが出來る。旅費と行程とが定まれば、旅裝の支度になる。余は大抵旅行の時期を夏から秋の初めと定めておくが、此れは旅裝の輕便を欲するからで、學生の旅行期と一致して居る。單衣一枚着たまゝで、肌衣はシヤツとヅボン下と越中褌とを別に一組荷物へ入れる。肌衣は忽に汗じみて仕まふものであるから、時々洗濯を要するが、天候の如何によつて出來ないことがあるから、其時の用意である。木曾街道もだん/\美濃に近づくに從つては、俗に金時の生れたと稱する泣きびそ山などといふ峻嶺が聳えて來る。愈々街道十曲峠といふ峠一つで美濃になるといふ所に、木曾川へ落ち込む流れがある、日は[#挿絵]くが如く照りつけるので、其流れの岸で休息した。余は不圖洗濯をしたくなつたので、褌まで取つて清洌な水に…

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