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寒月の「首縊りの力学」その他
かんげつの「くびくくりのりきがく」そのた
作品ID57451
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第一巻」 岩波書店
2000(平成12)年10月5日
初出「漱石全集 第一巻 月報第四号」岩波書店、1936(昭和11)年2月10日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2016-12-09 / 2016-09-09
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

『猫』の寒月のモデルとして一般に信ぜられていた寺田寅彦先生が、昨年の暮押し迫って亡くなられた。その御葬式も済んで、一通りの用事も片付いた頃、漱石同門でありかつ先生の心友であった小宮さんが、「古蹟巡りをしよう」といわれて、私をあるビルディング内のC亭へ案内された。そこは小宮さんが仙台から出てこられるたびに、寺田先生と東京中の美味い料理を喰べさす家を廻られたその古蹟の一つなのである。その小さい一室で、「そこにいつも寺田さんが坐ることになっていたんだが」といいながら、小宮さんが色々漱石先生と寺田先生との思い出を語って聞かせて下さった。その話の途中で、私が前に寺田先生から聞いていた、寒月の「首縊りの力学」の出所を話したら、それは面白いからぜひ書くようにと勧められたわけである。
 寺田先生自身は、寒月のモデルなどというものはないということをよくいっておられた。実際漱石先生の小説はいわゆるモデル小説などに出てくる意味でのモデルがあったわけでは決してない。ただ『猫』の寒月についての記述の素材が、主として寺田先生から提供されたものが多かったというだけのことである。「首縊りの力学」の原本は実は立派な物理の専門雑誌に出ていた論文なのである。漱石先生が『猫』を書き出された頃、当時大学院におられた寺田先生が、ある時図書室で旧いフィロソフィカルマガジンという英国の物理雑誌を何気なく覗いておられる中に、ホウトン(Rev. Samuel Haughton)という人の「力学的並に生理学的に見たる首縊りに就いて」という表題の論文に出会われたのだそうである。大変驚かれてちょっと読んでみられたところ、正真正銘な首縊りの真面目な研究だったもので、早速その話を漱石先生にされたのであった。漱石先生も大変興味を持たれて、ぜひ読んで見たいから君の名前で借りてきてくれと御依頼になったのだそうである。その論文の内容が間もなく、寒月君の「首縊りの力学」となって現われたのである。
 以上の話は、私が大学を卒業した年位だったと思うが、寺田先生の指導の下で実験をしていた時、大学の狭い実験室の片隅で、実験台を卓として一同で三時の紅茶を呑みながら先生から伺った話である。その時寺田先生は、「僕はもう大分旧い話なので、論文の内容なんかすっかり忘れてしまったが、誰か一つ古いフィルマグを探して見給え、きっとあるから」との御話だった。早速図書室へ行って、埃っぽい古い雑誌を片っ端から探してみたら、果して見付かったのであった。それは一八六六年の第三十二巻第二十三頁にあって、題目は“On hanging, considered from a mechanical and physiological point of view.”というのである。著者ホウトンはF・R・S・(Fellow of Royal Society)と肩書きがあるとこ…

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