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御殿の生活
ごてんのせいかつ
作品ID57454
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第一巻」 岩波書店
2000(平成12)年10月5日
初出「理学部会誌 第6号」1927(昭和2)年12月1日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2018-04-11 / 2018-03-26
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 御殿というのは、私の田舎に近い城下町の昔からの殿様の御殿のことである。封建時代の殿様の生活から、現今の東京における華族の生活に移る間に、田舎の旧藩下で、御殿の生活の名残りを送った殿様が、どこにも沢山あったことと思われる。
 その城下町も、今では急激に発達した輸出絹布の工場が沢山出来て、小さい工場町の感じが見えるのであるが、私の小学校時代には、旧い伝統の香りに満ちた薄暗い北国の田舎町であった。人々は昔ながらの習慣を守って、旧藩主の別邸を御殿と呼んでいた。そしてその広壮な御殿を繞った露路のような狭い町に、活動と野心とから遠のいた静穏な生活を続けていた。
 町を切って流れる川が真直に折れる処の一隅を占めて広い御殿の敷地があって、その門の真向いには、Mという旧い家老の家があった。その前の道はちょうど川で切れているために、御殿の前だというのでその城下町に不似合な広い道をつけてあったけれども、昼でも通りがかりの人というものは一人もなかった。Mの家や、それに続いた旧士族の家々の長い土塀は、北国の灰色の空とその附近に多い旧い公孫樹のために、閑寂の境を通り越して、廃墟に近い感じを与えていた。私の家はそのような町からさえもずっと離れた片田舎だったので、縁続きになっているMの家に預けられて六年の小学教育を終えた。Mの祖父は引き続いて家令として、旧い御殿を守っていた関係上、その六年間の生活はほとんど御殿と終始していた。そして明治になって後の封建時代の生活の名残りと深い接触をもった機縁が今の追憶となっている。
 御殿には、御老体の大殿様と、御前様と呼んでいたその奥方とが主として住んでおられた。私の最も印象に残るのはその御前様の生活であって、その頃六十を越しておられて、茶筅に結った細面の随分綺麗な方であった。大殿様が東京の御本邸へ行かれて留守の間などは、Mの祖母が話相手として毎晩のように私を連れて御殿へ上った。御前様の御居間は四十畳位の広い部屋で、その奥の十畳位が昔ながらに敷居で仕切られてある。その真中に大きい火燵をしつらえて、御前様はただ一人その火燵にあたっておられる。女中達や旧士族の御機嫌伺いに上った人々は、その真中の敷居より奥へはいることは許されない。人々の伺候する広い部分には、片隅に少さい炉が仕切ってあって、その周囲に座を占めながら敷居越しに御前様と四方山の話をする。北国の永い冬は鼠色の雪に包まれて、人々の外界との交渉を全部絶ってしまう。勿論その頃には、電灯はなくて、雪洞のような形の脊の高い洋灯が二つ、御前様の手許と人々の間とに立っている。私はよほど御前様の御気に入っていたものとみえて、私が上って行くと、御前様はいつも火燵を抜けて、その炉の隅まで出てこられる。そして毎日その日の学校の話などを聞かれた。学校で教わることや、どの町で雪下しをしていたなどというような話さえ、あるいは…

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