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雑魚図譜
ざこずふ
作品ID57455
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第一巻」 岩波書店
2000(平成12)年10月5日
初出「中央公論 第五十二年第三号」中央公論社、1937(昭和12)年3月1日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2021-02-27 / 2021-01-27
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は昨年の秋から少し静養の意味で、伊豆のI温泉に仮りの住居を定めることにした。今まで北国の生活ばかりしていた私達には、初めて見る南国の冬が色々珍しい経験を沢山齎してくれた。高畑の蜜柑畠に日が映えて、雑木林が紫色に光るのも珍しかったし、冬の海に陽光が燦々と降っている景色も愉しかった。何だか周囲が天恵で満ち満ちているような気がして、半年を灰色の空の下で雪に埋れながら暮す人達の生活が遠い国のことのように思い浮べられた。
 それらの天恵の中でも、この伊豆海岸の生活で自分に一番嬉しいことは、いつも鮮しい魚が得られしかもその種類が極めて多いということであった。この町は温泉地として有名であるにもかかわらず、実は今でも町全体の収入を見ると、温泉地としてよりも漁港としての方が多いという話である。それだけに町の姿にも全くの温泉街とは成り切れぬ処があって、微かに残っているその漁村の匂いが、落付いて住もうとする私達に何となく暮しやすいという感じを与えてくれるのであった。
 私がここにしばらく滞在しようとした時に、医師の人から新鮮な魚を沢山喰べるようにと勧められた。もともと私は子供の時から北国の荒海近い田舎に育って、色々の磯の小魚に親しみを持って育ってきたのであるが、その後都会の生活をするようになってから久しくそのような自然の饗宴から遠ざけられていたのである。それで医師に勧められるまでもなく、私は大変喜んでこの南国の海の生活を十分に楽しみたいと思っていたのであった。
 ここでは町の魚屋が、朝早く船から上った魚を真直に持ってきてくれるので、強い魚などは台所へきてもまだ盛んに口を動かしている位であった。それで魚屋によく頼んでおくと、いくらでも新鮮な珍しい魚が手に入るのであった。ここに移って初めての朝、まず温泉に浸ってそれからしばらく机に向っていると、魚屋が来ましたという知らせがあった。軽い好奇心からちょっと裏口へ出てみると、小さい盤台の上に色々な珍しい魚が一杯に並んでいた。それを見た時私は何よりもまずその色彩の美しさに思わず驚きの眼を見張ったのであった。この海で有名な室鰺の水から揚ったばかりの姿は初めて見たのであるが、力一杯張り切るように肥った皮膚が鮮緑色に輝いているのがいかにも美しかった。そして黒鯛とか鱸とかいう有りふれた魚までもここでは皆燦爛たる光彩を放っているのであった。その外色々な形も色彩も著しく異っている磯の雑魚が沢山並べられていた。それら雑魚達の名前と料理法とを一々魚屋から教わって、これから毎日その一つ一つの味を調べてみようということになった。魚屋の方も妙に乗気になって、「これはまだ召し上らない魚です」などといって妙な魚を持ってきてくれるようになったので、一月位したらこの海で獲れる磯の魚を一通り喰べてみたことになってしまった。
 これらの雑魚は私に今まで持っていた魚の種類と…

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